夏の18冊目
佐藤憲胤『サージウスの死神』(新潮社 2005)を読む。
第47回群像新人文学賞を受賞したデビュー作である。ギャンブルに狂う男の狂気を描く。筆力に勢いはあるのだが、いまいちその迫力に共感できなかった。
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『エステの鬼:あなたのかわりに試してみました!』
夏の17冊目
山田美保子『エステの鬼:あなたのかわりに試してみました!』(新潮社 2001)を読む。
放送作家でコメンテーターも努める山田さん自身による様々なダイエットやエステ、歯列矯正などの体験記である。「私にとってエステは趣味なのです。金に糸目はつけません。どんなに忙しくたって、エステのためなら時間を捻出します」と、楽して美しくなることよりも、美しくなろうと努力することに価値を置く涙ぐましい(?)苦労記である。
『ネオリベ化する公共圏』
夏の16冊目
絓秀美・花咲政之輔編『ネオリベ化する公共圏:壊滅する大学・市民社会からの自律』(明石書店 2006)を読む。
早稲田大学というと「在野精神」「学の独立」といった自由闊達な文化が渦巻いている大学として一般的には知られている。そして、実際、90年代まで学生会館や校舎の地下部室、ラウンジに多くのサークルがたむろする空間が残され、多くの学生やOB、社会人が集う場が残されていた。しかし、突如2001年7月に早稲田大学のキャンパス内から授業に支障があるとの理由で自主空間の全てが一斉に強制撤去されてしまった。テレビニュースなどでも大きく報道され、当時反対の声が多くの学生・教員から上がった。そして、2005年12月に、この問題に疑義を呈したビラを巻いた(巻こうとした)学生が大学の一教員に私人逮捕され、警察に引き渡されるという事件まで起きている。
こうした早稲田大学におけるサークル部室の撤去や学生の逮捕を、単に一大学の運営管理の問題、一個人の怨恨といた個別の問題として捉えず、大学における自治空間の意義、引いては市民社会における「社会」そのものの意義を改めて真摯に問い直そうとする良書である。
近畿大学教員の絓氏が指摘しているように、大学とは授業でイラク戦争反対の署名を集めたり、入試問題で言論の徹底的自由を論じた評論文を扱ったり、一定左派的な「風潮」がまだ残されている。また、そうした左派的言説がマスコミにもてはやされ大学の宣伝になっていたりする側面がある。しかし、実態はそうした「大学幻想」を守るために、大学理事会は学内に警察を導入したり、極めて暴力的な言論封殺を行っている。授業やゼミにおいては「学問の自由」を声高に喧伝する一方、学内における「学問の自由」を脅かそうとする輩には「不審者」「特定政治党派の手先」といったレッテルを貼り排除するという背反するような行為を大学当局はくり返すのである。そうした「自由」「民主的」「平和」といった「正義の刀」で、他者・不審者を排除しようとする論理がここ数年様々なケースで使われることの危険性を説く。
『69 sixty nine』
夏の15冊目
村上龍『69 sixty nine』(集英社 1987)を読む。
主人公のヤザキくんは女性にモテたいばかりに、1学期の終業式に、ベトナム戦争や管理教育を後押しする〈国家—学校〉権力にアンチを訴え、高校をバリケード封鎖する。そして長期の自宅謹慎を終えて、高校生の高校生による高校生のためのフェスティバルを佐世保の地で計画する。その準備を巡って恋愛や友情、ヤクザ、ロックなどが絡んでくるが最後は大団円で終了する。とにかく自由で、将来は確(しか)と明るく、そして、反体制というアイデンティティを謳歌できた60年代の青春時代を楽しく描く。
アダマ(主人公の友人)は信じている。僕を信じているのではない。アダマは、1960年代の終わりに充ちていたある何かを信じていて、その何かに忠実だったのである。その何かを説明するのは難しい。その何かは僕達を自由にする。単一の価値観に縛られることから僕達を自由にするのだ。
『今日、ホームレスになった:13のサラリーマン転落人生』
夏の14冊目
増田明利『今日、ホームレスになった:13のサラリーマン転落人生』(新風舎 2006)を読む。
バブル崩壊後、10年にも及んだ不景気、またそれに伴う就職難、苛烈なリストラ、公共投資削減、金融緩和といった煽りを受けたサラリーマンの転落人生を追う。平均以上の収入を得て、家族を養っていたサラリーマンが一転ホームレスになってしまったのは、決して彼らが社会人としての欠陥を持っていたとか、重大な過ちを犯したからではない。倒産、リストラといった不運に加え、早期退職や独立開業などの些細なタイミングミスが重なると、現在の日本ではすぐに路上生活行きになってしまうのである。
今回のケースは全て男性であったが、男性にとって失業は単に収入を失うだけでなく、人間性そのものを否定されるということである。失業のショックで再就職もうまく行かず、また再就職してもこれまで築いてきた自尊心が傷つけられ、家庭生活でも自信を失い、やがては自棄的な生活へと落ち込んでいく。いかに仕事というものが人間の本質に結びついているか、色々と考えることも多かった。
著者はあとがきで次のように述べる。政府や行政、企業経営者の批判までは至らないが、ホームレス問題は対岸の火事ではなく、私たち自身の経済問題であるとの認識を示す。
ホームレスの人たちを見て「自由で気ままな生活はうらやましいよ」とか「義務も責任もないのだから気楽でいいじゃないか」などと言う人がいるが、それは自らが切迫した状況に置かれたことのない者の発言で、ホームレスは常に生命の危険と隣り合わせでぎりぎり生きているのだ。今回、多数のホームレスに話しを聞いたが、彼らの来歴は決して特別ではなかった。今現在の彼らは汚れて悪臭を放ち、みすぼらしく生気のない顔をしているが、現在ではなく過去を見れば、私たちと彼らはまったく同じところにいたのが分かる。世間一般の人びとはホームレスに対して「あの人たちはまともな社会生活のできない欠陥人間なんだ」と異端視し、「ホームレスのような人間と自分は違う」と思いがちであるがそうではないのだ。

