本日の東京新聞朝刊のスポーツ面に、大リーグマリナーズのイチロー選手の「盗塁教室」の記事が載っていた。
イチロー選手が同僚の選手やコーチに盗塁のスタートをどう切るか説明したとのことだ。体重移動の際に「脚よりも骨盤。骨盤をいかにしっかり動かせるか。それによっていろんな(体の)動きが変わってくる」ことなどを詳しく話したという。
球技というよりも、まさに古武道の動きである。私自身も宇城憲治氏の著作に触れて以来、腰のひねりと重心の移動をここ最近の練習のテーマにしているので、機会があればイチローのレクチャーを受けてみたいと切に思った。
投稿者「heavysnow」のアーカイブ
『潜水服は蝶の夢を見る』
マチュー・アマルニック主演『潜水服は蝶の夢を見る』(2007 仏=米)を観に行った。
ロックトインシンドローム(閉じ込め症候群)という、意識は元のままなのに左目のまばたき以外の随意運動の一切が奪われてしまう難病に突然罹ってしまう、ファッション誌ELLEの元編集長ジャン=ドーの入院生活を追った実話である。
主人公のジャン=ドミニク・ボビーは左目のまばたきだけで援助者とコミュニケーションを取り、自らの苦悩を描いた自伝「潜水服は蝶の夢を見る」を執筆する。本の中で、彼は自身を自らの肉体に閉じ込められた潜水服になぞらえ、かつては、そしていつかは蝶のように自由に恋愛を楽しみ歩き回った過去の記憶や空想の中を遊び回る。しかし、本が出版されてから10日後に、彼はこの世での仕事を終えてしまう。
日本だとこの手の作品は苦境にめげず頑張る障ガイ者を描いたヒューマンドラマに終始してしまうであろう。「障ガイ」をモチーフとしつつも、一流の恋愛ドラマに仕上がっているところが恋愛王国フランスの躍如であろう。
伊勢原へ
先日観た映画『22才の別れ』に影響された訳ではないが、自分の過去をもう一度振り返りたいと思い、神奈川県の西部にある伊勢原市というところへ出掛けた。今から15年以上も前、新聞奨学生として日々仕事と将来に対する不安に追われて過ごしていたところだ。はたして15年前の自分にとって、現在の自分はどう映っているのだろうか。少なくとも15年前の自分の方が気持ちが充実していたことは確実だ。当たり前か。。。

途中、大学時代にバイトしていた東名高速の港北パーキングエリアに立ち寄った。内外装ともにがらっと変わっておしゃれになっていたが、私がバイト時代にも揚げていた「からあげ丼」は健在であった。この変わらない安っぽい味がたまらない。

私が住んでいたアパートは既に取り壊され、新しいアパートが建っていた。なかなか記憶を辿る旅というのは難しいようだ。
外装がキレイになっていたり、空き地がアパートに変わっていたりしたが、住宅街の中の魚屋や居酒屋など前のままだったのが懐かしかった。
当時電話を引いていなかったので、家の近くの公衆電話をよく利用した。こちらも新しくはなっていたが、元の場所にひっそりと佇んでいた。住宅街の中の電話ボックスというのも寂しさの象徴であろうか。
『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?:身近な疑問からはじめる会計学』
山田真哉『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?:身近な疑問からはじめる会計学』(光文社新書 2005)を読む。
タイトルが誰しもが疑問に思いながら深く考えたこともない都市伝説めいていたのでつい手に取ってしまった。さおだけ屋の話は会計学の一端を紹介する冒頭の章段の具体例に過ぎない。他にもどこにでもある住宅街に突如として現れる高級フランス料理店や在庫だらけの自然食品店なども紹介され、商売の巧みさや会計を複眼的に見る視点などを説く。タイトルにはいささか騙された感が拭えないが、会計の面白さが伝わってくる読みやすい本であった。
「大波小波」
本日の東京新聞夕刊の匿名コラム「大波小波」を興味深く読んだ。短い文章であるが、小論文としてお手本になるような小気味よいくらいの勢いで切り込んだような論理展開だった。
中国製冷凍ギョーザの中毒事件は、低価格を競う無制限な市場競争の制度疲労が現れたと言えよう。百円ショップの棚を見なさい。手間かけた中国製ざるやスリッパが並ぶ。流通経費が入ってこれだから、現地労働者の手取り賃金はいかばかりか。輸入国による植民地的収奪である。
本紙で清水美和論説委員はギョーザ事件について過酷な待遇に抗議する現地労働者の破壊活動説を示唆していた。本来、外国企業が進出したり、生産を委託したりして生じる雇用で現地労働者の生活は向上するはずである。ところが、賃金が上がると、企業は再び安い賃金を求めてよそに行きかねない。企業を引き止める過酷な労働はいつまでも続くことになる。
その賃金競争が日本にも還流して名だたる大企業が国際競争力維持を理由に不法な派遣労働、偽装請負、名だけの管理職といった労働力の買い叩きを行い、ワーキングプアーの土壌を支える。
一九九〇年代以降の国際的な競争政策はこうして内外の労働者に、低賃金をめぐるデスマッチを要求している。初期資本主義に先祖返りしたようなこの競争システムに歯止めをかけないと、安さの代償として深刻な事態が起きる気がする。
なにやらマルクスが『資本論』の冒頭、商品の流通過程から貨幣の流れ、そして労働力の本質を明らかにしていったように、ギョーザ−ギョーザのパッケージに空けられた小さな穴から進入した農薬であるが−という子どもでもつまむことができる小さな商品から、穴が空けられた背景に潜むグローバル資本主義の欠陥が抉り出している。




