子どもと山岡家という油こってりなラーメン屋に行った。
夜遅くだったのに、駐車場もいっぱいで、店内も若い人たちで溢れていた。
餃子も注文して、お腹いっぱいになった。
意識して避けているわけではないが、昔ほどラーメン屋に入らなくなった。
潜在意識下で身体が消化の良いものを求めているようだ。
宇都宮軍縮研究室が発行していた「軍縮問題資料 No.188」(1996.7)をパラパラと読んだ。
学生時代に購入し、そのまま本棚の奥に眠り続けていた雑誌である。当時は月刊誌で刊行していたのである。編集代表であった宇都宮徳馬氏は戦前共産党に入党しており、治安維持法で約1年間の獄中生活を送っている。戦後は一転して自由党公認で衆議院選挙に出馬し、その後30年近く自民党のリベラル派の議員として活躍されていた。自民党議員として、石橋湛山や三木武夫らハト派議員と行動を共にし、平和共存外交、日ソ・日中・日朝国交回復を主張し、日中国交回復、韓国の民主化や非同盟諸国との協力を進めた異色の議員であった。
ネットを調べているうちに分かったのだが、宇都宮氏は新自由クラブの推薦を受けて参議院議員にもなっている。新自由クラブというと古巣の自民党の右派的なグループだと勝手に思っていたが、実は親中派の議員が多く、また、社会民主連合とも連携を組んでいたのである。
安田元久『平清盛:権勢の政治家と激動の歴史』(清水書院,1971)を数ページだけ読む。
著者は学習院大学の学長まで務めた日本の中世史学者であり、本書も専門書に近い内容であった。
専門家の間でも平清盛の人物像の評価は分かれている。鎌倉時代の始まりが1192年ではなくなったように、古代から中世の転換をどこにおくのかで、平清盛の評価も分かれていく。著者は平清盛の評価の難しさについて次のように分析する。
清盛に対する歴史的評価の困難さは、また彼が作り上げたところの、いわゆる平氏政権の歴史的位置付けの問題とも関連する。平氏政権を古代的貴族政権のひとつと見るとき、それは古代の終焉をつげる苦悩の中に生まれたところの独裁政権であり、また王朝国家の没落を前にして咲いたあでやかな仇花ともいえる。平氏政権を、武家政権と見るとき、それはまさに新しい時代の先駆者であり、中世をひらく苦悩の前史をいろどる短命の政権とみることができよう。
鎌田慧『激動世界の裏側』(すずさわ書店,1990)をパラパラと読む。
1987年から90年にかけて新聞や雑誌に連載された記事が収録されている。天安門事件に始まり、欧州各地の冷戦の崩壊の模様、韓国の労働運動などの世界情勢や、言論弾圧に抵抗した本島等長崎市長や減反を迫られる大潟村など、当時新聞を賑わせたニュースの背景が書かれる。国鉄民営化や御巣鷹山の墜落事故、建設前の六ヶ所村再処理工場での反対運動など、1980年代後半、「戦後政治の総決算」を掲げた中曽根内閣への闇の部分が垣間見える。