「大学と教育への異議申し立て」

『情況』(情況出版,1994.6)をパラパラと読み返してみた。
「大学と教育の異議申し立て」という特集で、予備校講師の表三郎先生や酒井敏行先生、青木裕司先生など、参考書や実況中継でお世話になった先生のコメントが興味深かった。まだ世田谷区長になる前のジャーナリスト保坂展人も座談会に参加している。

多くの特集記事の中でも、学生座談会が興味深かった。「変貌する”学生”と大衆闘争の可能性:セクト・ノンセクトの対立図式を克服しよう」というテーマで、当時東京大学駒場寮の廃寮阻止運動や京都大学吉田寮自治会、同志社大学や中央大学で自治・反戦運動を行っていたノンセクト学生8名の座談会である。ノンセクトセクト主義やセクトほど一貫していない運動スタイルの是非について論じている。最後に同志社大学の辻泰世さんのコメントが印象に残った。それ以降の野宿者運動や反原発運動、反安保運動を予期したような言葉であった。「陣地としての大学」という言葉印象に残る。

運動というときに単線的なイメージではこれからは絶対駄目だと思う。もうちょっと現実的に何を創るかということを考えて、多様なものを包摂していくことをやらなければ駄目。世界のことを考えるのは、もちろん重要なことだけど、まずはどういう場としての運動を創っていくかということだと思う。大学はその拠点になる。歴史的にもそうだったと思う。機動的には個人でもいろいろやれるところはあるんだけど、陣地としての場としての大学は重要だ。そういう風に考えてやっていきたい。

『川に親しむ』

松浦秀俊『川に親しむ』(岩波ジュニア新書,2000)をパラパラと読む。
著者は大学の専門家ではなく、大学で水産生物学を学び、高知県庁に勤務する役人である。海辺の小動物や魚の生態の項は飛ばしてしまったが、川の流れの部分は面白かった。護岸工事をしていない自然の川には「蛇行を繰り返している」点と「水の深さや流れの速さの異なる部分があり、それらが交互に現れている」という特徴がある。「瀬」は水深も浅く、流れも急で、河床の石も大きいため、水面が波立って見える。一方、「淵」はその反対に、水深も深く、流れもゆるく、河床の小石混じりの砂や泥からできており、水面も穏やかで、ゆったりとした感じのところです。

川の環境というと水質や水量ばかりに目が向きがちであるが、多様な川の流れが多様な生物の環境を作り出している点にも注目していく必要がある。

『みんな地球に生きるひと Part3』

アグネス・チャン『みんな地球に生きるひと Part3:愛、平和、そして自由』(岩波ジュニア新書,2007)を読む。
日本ユニセフ協会大使として、タイやフィリピンの児童買春、カンボジアやモルドバの児童売買、戦争に苦しむスーダンやイラク、エイズが蔓延するレソトを訪れ、一番犠牲になるのは子どもたちであると報じている。次の一節が印象に残った。中学生高校生に良く伝わる文章である。

多くの戦争がそうです。民主主義や解放とはぜんぜん関係ありません。
中東に不安定な状態が続けば、得をするのはアメリカです。イスラエルとサウジアラビアはアメリカの武器をたくさん買ってくれます。アジアも安定したら武器が売れなくなる。
だからアメリカは北朝鮮となかなか対話しません。北朝鮮があばれればあばれるほど韓国も日本も、武器を買うようになります。中国が脅威だと言えば、台湾が武器を買う。とにかく武器がいちばんもうかるのです。不安を煽るのが商売の人がいるのです。それでもうかる人がいる限り、テロも戦争もなくなりません。
そういう人たちは、多くの子どもたちを死なせてまで、一つの国家をズタズタにしてまで、石油やお金が欲しいのです。

最近では、せっかく軍縮に向かっていた世界が、こういう人たちのやり方によって軍拡に向かいつつあります。核軍拡まで、現実になろうとしているのです。
戦争のために、どんなにお金と時間を使っても、何も人類のプラスにはならない。この当たり前のことを、今一度、みんなで真剣に考えなければならないと思います。ひとつの強国に振りまわされるのではなく、国連の枠組みの中で、ねばり強く話し合いを続けること。そして武力ではなく、あくまでも話し合いで国際間の問題を解決していくこと。それが犠生となった多くのイラクの人々の死を無にしない、唯一の方法だと思います。

『老人とつきあう』

新藤兼人『老人とつきあう』(岩波ジュニア新書)を読む。
著者は1912年生まれの映画監督、脚本家である。戦前から映画の世界に携わり、溝口健二監督との出会いや妻との語らいを中心に綴っている。10年ほど前に100歳で鬼籍に入られている。

著者の名前は聞いたことがあるような無いようなといった感じだったが、結構有名な社会派映画を撮っていたことを知った。

『ナウなヤング』

水玉螢之丞・杉本伶一『ナウなヤング』(岩波ジュニア新書,1989)をパラパラと眺める。
1989年刊行で、当時20代後半から30代の著者たちの世代には理解できない、当時20歳前後の大学生や社会人、フリーターの消費行動を取り上げられている。背景には恋愛や就職、生活スタイルすらも消費主義的に捉えられていく消費社会への考察が垣間見える。

それにしても、1973年生まれの団塊ジュニア世代ど真ん中の私たちの世代にとっては、近い将来手に入ると期待しながら、一度も手にできなかった経済的な余裕の香りがしてムカついてしまう。バブル経済の狂奔、月9の恋愛物語、わたせせいぞうの風景、ホイチョイ・プロダクションの映画、その全てが世代間格差を象徴するものとして遠ざけてきたものである。

現在60代前半世代を彷彿とさせるようなものから逃げてきたのであろうか。