『障害児と教育』

茂木俊彦『障害児と教育』(岩波新書 1990)を読む。
1979年以降養護学校が義務化され、各県に養護学校が整備され、現在では800校近くが日々教育活動を行っている。しかし、その学習内容というと、養護学校高等部でも簡単な国語や算数の授業でお茶を濁すだけである。そして卒業生の多くが授産施設や更生施設に入るしかない状況をただ傍観し甘受しているような有様だ。このような中等教育が単なる通過点になってしまっている現状に対して、著者は積極的な普通教育、職業教育の実践を訴える。「働く」ということと人間の本質との関わりが赤裸々に表れており、いろいろと考えさせる文章を以下少々長いが引用してみたい。

養護学校高等部を卒業して、障害者の作業所に通うことになった18歳のM君。彼は電車に乗って通所するのだが、駅につくと毎朝必ず新聞を買うようになった。そして、電車に乗り込むと、それをひろげて「読む」。彼の知的発達はおおむね5歳程度だから、新聞の字が読めるわけではない。だから上下が逆になっていることもある。ユーモラスなエピソードだと笑ってすませられるかもしれないが、おとななんだ、働いているんだ、そのことを誇りに思う心情が、一般のサラリーマンのまねる、この行為の背後に息づいているのである。もう一つ、特定の個人ではないが、養護学校の中学部、高等部などでよく見られる例。発達段階が幼児期に相当すると考えられるちえおくれの子どもたちに、その段階に相応する活動と考えて、遊びをとりいれた教育活動にとりくんだところ、あまり積極的になってくれない。ところが、畑づくりや木工など労働をとりいれた活動になると、はるかに積極的になり、生きいきと参加する。この理由は、まだはっきりとはつかめていない。しかし、多くの教師が子どもたちの表情から推察して言うところによれば、どうも「こんなことは、小さい子のすることだ」と訴えている、ということであるらしい。
障害児・者は理屈抜きで、それぞれの生活年齢にふさわしい扱いをうけてしかるべきである。それを前提にしてあえて言えば、発達論の角度から見ても、障害をもつ青年は、まず何よりも青年として見られるべきであり、少年は少年として見られるべきなのである。
この点は、学校教育を進める上でも配慮する必要がある。その一つは、教育内容の選択と配列の問題である。先に触れたような遊びと労働のどちらをとりあげるかによって、活動への子どもの参加度が異なるということなどは、この問題の重要性を示唆するよい例である。労働は本来、生産物をあからじめイメージし、計画をたて、機械・道具をつかって対象に働きかける活動である。

健常児と同じように、障害児の中にも高等部を卒業したらすぐに社会に出て働きたいと望む子どもが一定の割合で存在する。こういう子どもたちの願いに応えるためには、障害者の就労機会を拡充し、職業教育でとりあげる職種をふやし、教育内容を充実すること、これがまず必要である。そして高等部などを卒業したのちに、大学・短大のほか職業教育・職業訓練を専門とする学校に進学する道も、もっと開かれていくのがよい。

そしてなかなか実践がうまく進まない交流教育について、京都府の与謝の海養護学校と近隣の小学校の取り組みについて述べているが、その実践の総括を以下に引用してみた。一回きりの優しの押し売りやイベント主義的な交流では逆に障害者を異なるものとして捉えてしまい差別を助長する結果にもなりかねない。地道な関係を結ぶことで真に障害を理解する方策が提示されている。

  1. 「遊び」を中心としたものが、子どもたちにわかりやすく、適当だ。
  2. ペアをつくり、互いに手つなぎをしたりして、直接からだに触れ合い、教え合い助け合う関係を意図的に組織することが大切である(遠くから見ているだけでは、かえって差別感や偏見をもつことが多い。直接からだを触れ合うことで壁をのりこえ、親しみをもつと同時に、同じ人間であるという認識がもてるようだ)
  3. とりくみを重ねることが大切だ(はじめて障害児に接した子どもは、驚きが大きく、自分たちと違う点のみが印象づけられてしまう。回を重ねる中で、「養護学校の人はどんなことができるか」「なんで障害児になったのか」などの疑問をもったり、「この前は歩けんかったのに歩けるようになった」と発達に気づいたりしている)
  4. 両校の教師の話し合いや学習会をもち、共通の目標をもって年間計画をたて、細かい指導の手だてをくんでとりくむことが、成功の鍵である。

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