月別アーカイブ: 2020年2月

『魔王』

伊坂幸太郎『魔王』(講談社 2005)を読む。
表題作の他、5年後の後日談を視点を変えて描く『呼吸』の2編が収められている。
霊能力者のように相手に乗り移り、相手の口を借りて言葉を自由に発する能力を身に付けた青年が主人公である。やがて、その青年は国家主義を前面に打ち出す若手党首に反発を感じ、不可思議な死を遂げる。

ファンタジー小説なのだが、反米を掲げるファシズムの増長や憲法9条改正論議など、一見落ち着いたように見える日本社会の底流に流れる不満の声がテーマとなっている。結論はぼかしているが、右派の勢いに負けてしまう近未来の日本への注意喚起の小説となっている。

『福島第一廃炉の記録』

西澤氶『福島第一廃炉の記録』(みすず書房 2018)を眺める。

2014年から2017年にかけて、日々動いていく福島第一原発の廃炉作業に携わる作業員の様子が収められている。冒頭で「現場で一生懸命働いている人が大勢いる」ことを伝えたいとのコメントがあるが、防護服で顔が見えない作業員の活躍はもっとマスコミにも紹介されてよい。

『1917 命をかけた伝令』

春日部イオンへ、サム・メンデス監督、ジョージ・マッケイ主演『1917 命をかけた伝令』(2019 英・米)を観に行った。
ヤフー映画のユーザーレビューで高い評価を得ていたので、急遽開演時間に合わせて、バタバタしながら出かけた。

第1次世界大戦でドイツ軍と対峙するイギリス軍の、丸一日かけて遂行された危険な作戦の一部始終を、2時間のワンカットで構成するという冒険作である。

たまたま「ウルティラ」という大スクリーンと豪華な音響設備を備えた、イオンシネマが誇るスクリーンで観たのだが、話の内容もあいまって、宣伝文句のとおりに映画の舞台に入り込んだような感覚を感じた。

『野村克也「勝利の方程式」』

永谷脩『野村克也「勝利の方程式」:「頭」はこう使うから生きてくる!』(三笠書房 1997)を読む。
昨日、野村克也元監督が亡くなったとの訃報をニュースで見て、本棚に転がっていた本書を手に取ってみた。
1989年の秋にヤクルト監督に就任してから7年あまりのゲーム采配やチーム運営、人の育て方について語られている。80年代のヤクルトの低迷期から、古田や池山、広沢らが華々しく活躍を始めた90年代前半の話がメインである。私自身がラジオやスポーツ新聞でヤクルトの活躍を応援していた一人だったので、大変興味深く読んだ。

「選手一人ひとりに応じた指導」と簡単には言うが、それには指導する側が徹底した信念と理念がないと、選手の我が儘や気分に振り回されるだけである。もしくは、自分の経験則のみを貫こうとする意地っ張りが出てしまう。

著者の永谷氏も鬼籍に入られているが、野村氏の手腕以上に、著者の野村氏への傾倒度合いがひしひしと伝わってくる内容だった。


本日の東京新聞朝刊より

 プロ野球南海(現ソフトバンク)で戦後初の三冠王になるなど活躍し、監督としても南海、ヤクルト、阪神、楽天を率いた野村克也(のむらかつや)さんが十一日、虚血性心不全のため死去した。八十四歳。京都府出身。
京都・峰山高から一九五四年、テスト生として南海に入団。強打の捕手として五七年に30本塁打で本塁打王になると、六二年には当時のパ・リーグ記録を塗り替える44本塁打を放った。六五年には打率3割2分、42本塁打、110打点で戦後初の三冠王に輝いた。七〇年に兼任監督に就任。七五年には史上二人目の通算600本塁打を記録した。
捕手として「ささやき戦術」や投手のクイックモーションの導入など野球界に新境地を開いたことでも知られる。ロッテ、西武を渡り歩き、八〇年に四十五歳で現役を引退した。
九〇年にはヤクルトの監督に就任。「ID野球」と称された緻密な野球スタイルを確立し、九八年までの九年間でチームをリーグ優勝に四度、日本一に三度導いた。九九年から三年間は阪神、二〇〇六年から四年間は楽天の監督を務めた。他球団でくすぶっていた選手をよみがえらせる手腕は「野村再生工場」と呼ばれた。
現役時代の通算2901安打、657本塁打はともに歴代2位で、打率は2割7分7厘。通算出場3017試合は現在もパ・リーグ史上最多記録となっている。リーグ本塁打王九度、首位打者一度。監督としての通算成績は1565勝1563敗76分け。

2006年2月、キャンプで練習を見守る楽天の野村克也監督=沖縄県久米島町の久米島球場で

自転車修理

久しぶりに16インチの子供用自転車を整備した。
ハンドルが曲がらないという代物で無料で貰ってきたものだ。ヘッドポストをバラしたところ、フロントフォークと下ワンのところに出っ張りがあり、操舵角を制限するもののようだが、何かの拍子にずれてしまったようだ。

仕方なくビバホームでインパクトドライバーに付けるヤスリを購入して、出っ張り部分を削ることになった。金属を加工するというのは初めての経験であったが、なかなか面白かった。出っ張りもだいぶ削れて、無事にハンドルも曲がるようになった。