第153回芥川賞受賞作、羽田圭介『スクラップ・アンド・ビルド』(文藝春秋 2015)を読む。
要介護認定を受けている祖父と、その祖父の尊厳死を狙って消極的な殺人に勤しむ20代後半の孫との交流を描く。入退院を繰り返し今際の際でジタバタする祖父と、筋トレに励み見事再就職を果たし成長していく孫の姿との鮮やかな対比がテーマとなっている。
作者はバラエティ番組にも度々登場するが、作者自身の心境小説のような雰囲気の作品であった。
第153回芥川賞受賞作、羽田圭介『スクラップ・アンド・ビルド』(文藝春秋 2015)を読む。
要介護認定を受けている祖父と、その祖父の尊厳死を狙って消極的な殺人に勤しむ20代後半の孫との交流を描く。入退院を繰り返し今際の際でジタバタする祖父と、筋トレに励み見事再就職を果たし成長していく孫の姿との鮮やかな対比がテーマとなっている。
作者はバラエティ番組にも度々登場するが、作者自身の心境小説のような雰囲気の作品であった。
本日の東京新聞朝刊に、フリースなどの合成繊維の糸くずがマイクロプラスチックとなって、海洋汚染に繋がるとの記事が出ていた。
近年コンビニのレジ袋の有料化やスターバックスのプラスチック製ストローの使用禁止など、マイクロプラスチックを巡る企業の取り組みの報道が増えている。勿論、その背景には環境に配慮したという企業イメージの宣伝もあるのだが、沿岸部だけでなく公海の汚染に消費者の関心が集まるのは良いことである。
記事にもあるが、マイクロプラスチックというとペットボトルの破片や人工芝の切れ端など、いかにも石油化学製品といったイメージが強い。しかし、東京農工大の高田教授が指摘しているように、合成繊維のくずは洗濯機のフィルターや下水処理で全てを取り除くことは難しく、二枚貝の体内から見つかったマイクロプラスチックの2割を占めるまでに至っている。
ストローやレジ袋と違い、消費者の目に見えないマイクロプラスチックでは、注意の喚起も難しい。世界自然保護基金(WWF)の三沢さんが述べるように、環境に配慮した服を使い捨てずに長く着ることが大切である。
あけましておめでとうございます。
心身ともに骨休めの年末年始となっております。
社会人となり埼玉に越してきて初めてと言っても良いくらい、精神的にゆったりとして、英気を養っています。
カッコ付けて言うなら、中国の古典「菜根譚」にある「伏すこと久しきは、飛ぶこと必ず高し」の心境でしょうか。
今年度は久しぶりの3年生の担任で、充実しすぎる日々を送りました。入試改革の余波もあり、1学期の終業式以降ずっと入試期間が途切れることなく続きました。
今月18日・19日のセンター試験、その後の出願指導に続き、私大・国公立2次、卒業式へと雪崩れ込んでいきます。
年内入試が混乱した一方、一般受験はやや視界良好です。生徒教員ともに体調管理に努めたいです。
また、昨年は思うように道着を着ることができず、焦れったい一年となってしまいました。関係各位のみなさん、すみません。
11月の地域指導者研修会で良い刺激をもらうことができたので、「待てば海路の日和あり」の心構えを大切にしたいです。
組合活動の方も、組合費を払うだけの一年でした。こちらもすみません。
日本語を母語としない生徒の高校入学支援を切り口に、より良い埼玉県教育を目指したいところです。
さて、年末に小学校2年生の次男がいよいよクロスバイクデビュー(ブリジストン・シュライン24インチの中古)して、ここ10日間ほど毎日ポタリングを楽しんでいます。小学校4年生の長男が同じ型 の26インチ(こちらも中古)なので、クロスバイク3台で並走です。
といっても、子どもたちはドラゴンボールヒーローズのカードしか眼中にないので、ひたすら春日部界隈のトレカショップ数軒とゲームセンターの往復です。
遅ればせながら、昨日関宿城まで走ってきました。右膝の半月板の具合も良くなり、やっとサドルをギリギリまで上げることができるようになりました。
今年は2月と3月にオダックス埼玉主催のブルベに申し込んだので、練習も兼ねて往復40kmの自転車通勤を頑張りたい思います。
玄侑宗久『禅的生活』(ちくま新書 2003)を読む。
著者は臨済宗の僧侶であり、「犬に仏性はありますか?」「片手の拍手の音」といった有名な公案の背景にある禅の教えについて語る。
ざっくりとまとめると、臨済宗・曹洞宗・黄檗宗などの禅宗では、人間は成長するにつれて、行動や考え方に偏見や先入観、予想などが入ってきてしまい、本当の姿や真理を素直に見ることができなくなってしまうと考える。そこで、禅の修行を通じて、心を無にすることで、自分や他人、社会を素直に見つめるように、自分を高めていくこと(悟り)が肝要だと教える。
著者はそうした悟りに近づくために、克服しなければならない煩悩について、次のようにまとめている。禅宗の教えであるが、日常生活にも必要なことである。
禅の教えに、「日々是好日」という言葉がある。これは日々煩悩を捨て去って、今日は昨日との連続ではなく、毎日が新鮮であり、「永遠のような今」であるという、禅宗の悟りを表したものである。
本書で気になったところを引用しておきたい。
面壁九年という説話はご存知の方も多いだろう。日本では嵩山で九年も座りっぱなしだったので手足が無くなってしまったというまことしやかな話から、ご存知のダルマが作られる。また何度も毒殺の危機に遭い、七回目で亡くなったと思いきや、お墓に靴を片方残したまま甦ったとされるため「七転び八起き」という諺まで生まれる。しかし、達磨さんは少林寺拳法の開祖として祀られることからも判るように、手足がないというのは日本だけでの話である。もし本当に手足がなかったとすれば日本にだって来れないではないか。だから面壁九年というのも、数えきれないくらいの年月という意味であることに注意しなくてはならない。
「ズボラ」という言葉、じつは「坊主」を逆さまにした「主坊」の複数形だって、ご存知だろうか。つまり坊主にあるまじき人々という意味なのである。
第139回直木賞(2008年上半期)ノミネート、2009年の第6回本屋大賞第2位、和田竜『のぼうの城』(小学館 2007)を読む。
前半少しだけ読んで、あまり乗り気になれなかったのでうっちゃっていた本である。先日忍城を尋ねたので、もう一度手に取ってみた。半分ほど読んだ所、忍城側の抵抗が始まった場面から、もう止まらなくなり最後まで一気読みだった。宣伝文句に「ハリウッド映画の爽快感!」とあったが、後半から城に籠もった士族や百姓だけでなく、読者も含めて危険な賭けに出る城代長親に惚れていく。フィンクションなのだが、石田三成のイメージがガラリと変わった。
また、石田三成が水攻めを提案した際の大谷吉継のセリフが印象に残る。
治部少(三成)、何ゆえの水攻めだ。水攻めなど、合力の諸将が手柄を立てる機会がなくなるではないか。おのれは総大将なのだぞ。部将の心を獲らずしてなんとする
武士にとって、近世以前の合戦はルールに則って戦功を挙げ、分かりやすい形で記録に残し、恩賞を勝ち取る真剣勝負の仕事の現場だと改めて理解した。