日別アーカイブ: 2019年6月16日

「『道徳に教育勅語』募る憂い」

1面に続く,27面では教育勅語再評価に関する内容となっている。記事にもある通り,国民を戦争に駆り立てた教育勅語は,1948年森戸文部大臣の時に排除・失効が決定している。それに代わって1947年に「平和主義・国民主権・基本的人権の尊重」の考え方に基づいた教育基本法が成立している。しかし,柴山昌彦文部科学相は昨秋の就任会見で,教育勅語を「道徳に使えるという意味で普遍性がある」と発言している。

近現代の歴史を学ぶ上で大切なことは,偏差値を上げることでも歴史用語の暗記でもない。「平和=善,戦争=悪」といった単純思考から一歩脱し,無謀な戦争へと突っ込んでいき,失敗に気づいても引き返せなかった過程や,戦争に巻き込まれなくても済む安定な国家の準備段階の流れを丁寧に掘り起こしていくことである。ちょうど先週あたりから,財閥解体や農地改革など担当する教員も辟易してしまう内容が続くが,用語の穴埋めや説明ではない授業を心掛けていきたい。

「生存権揺るがす格差」

本日の東京新聞朝刊一面に,年金問題に絡めて,1947年片山哲内閣,芦田均内閣で文部大臣を務めた森戸辰男氏に関する記事が掲載されていた。
森戸辰男氏は戦後,憲法学者の鈴木安蔵や杉森孝次郎らと,「憲法研究会」を組織し,「憲法草案要綱」を発表している。GHQの憲法草案に森戸氏らの「憲法草案要綱」の多くが採用されたのはよく知られたところである。記事にもある通り,憲法25条の生存権は1946年に日本社会党から立候補し衆院議員となった森戸氏が強く主張したものである。

東京経済大学名誉教授で,「五日市憲法草案」を発見した色川大吉氏は,著書『自由民権』(岩波新書 1981)の中で次のように語る。ちなみにこの『自由民権』は板垣退助らの自由民権運動からGHQ草案ができるまでの過程が丁寧にまとめられており,日本史受験者におすすめしたい一冊である。

(敗戦直後、GHQから日本国憲法を「押しつけられた」という意見に対して)もちろん、本来なら日本人民の手で旧権力を打倒し、みずからの政府を組織し、そのうえでみずからの憲法を創造すべきであったが、敗戦直後の日本国民には、その力が決定的に足りなかった。そのために生じた不幸な事態である。しかし決して、明治憲法のように反動勢力によって人民が押しつけられたものとは性質が違う。たとえ、ささやかな流れであったとはいえ、自由民権以来の伝統が、敗戦後の民間草案などを通して現憲法に生かされ、しかも、その後35年、主権者たる国民の大多数から一貫して支持されてきたということの中に、現日本国憲法の正当性の根拠があるのであって、いつまでも成立事情などによって左右されるものではない。