四つ葉有志の会『ピースボート地球一周105日間の船旅:第48回クルーズの記録』(朱鳥社 2006)をパラパラと読む。
2005年2月から5月にかけて行われた第48回ピースボート地球一周クルーズに乗り合わせた参加者の感想文集である。個人的な感想文が続くのでパラパラと目を動かすだけだったが、ある参加者の文章で目が留まった。クルーズの1年前の2004年にイラクで人質となったボランティア活動家の高遠菜穂子さんである。武装勢力に3ヶ月ほど監禁され、日本国内ではマスコミを中心に、「自己責任」といった観点で人質にされた日本人に対するバッシングが展開されたので記憶に残っている。
その彼女は感想文の中で次のように述べる。
今回のクルーズでも(アラビア)半島を隔てた向こうのペルシア湾では、のんびり船旅などしておれない非常事態がイラク・パレスチナ辺りで続いているのかと思うと、昔も今もさして変わらない、どこかで戦争を続けていないと成り立たない、地球規模の人類の宿命のようなものを感じてしまったりもする。私たちはいつも目隠しされていて、ほんのわずかの隙間から外界を眺めて、それを世界全体と勘違いしているだけなのか、それとも海の広さ陸の大きさの99%は、絶えず人類を祝福し恵みを与えてくれているのか、わからなくなってくる。
さらに次のように述べる。
近くはイラクに見たばかりだが、社会主義社会の崩壊にしろ、これから先で訪ねるであろうアンデスのマチュピチュも、遺跡そのものが奇跡的に残ったのは後世から見てありがたいことだが、末路のあっけなさは、その遺跡の壮大さと裏腹のものであったことも確かだ。歴史の流れは、それぞれの独自の成熟・発展にゆだねるべきものなのか、その視点からすれば、これまでの先進国による侵略の歴史は全て誤りということになるであろうし、否、弱肉強食は自然の摂理で、多少の犠牲を伴ったとしても進歩発展はそこから生まれる、と侵略主義を歴史の必然としてとらえるのか。そのような問答は哲学に委ねるとして、我々は少なくとも過去の歴史の過ちから学ばねばなるまい。
現立憲民主党の辻元清美さんが設立に関わっており、人権や平和、環境問題を全面に打ち出した政治色の強いツアーなのかと思ったら、交流と観光が大半を占めていた。中にはピースボート9条の会などの活動も見られるが、まったりと平和な日々を実感したり、観光地保全に向けた環境をゆっくりと考えたりする時間を購入するというツアーのあり方は否定できるものではない。