月別アーカイブ: 2018年7月

SAMURAI BLUE(日本代表)監督に森保一氏が就任

昨日、次期ワールドカップ日本代表監督にサンフレッチェ広島の選手・監督として森保一氏が就任した。
その就任挨拶の中で胸を打つコメントがあったので一部を紹介したい。

 また私は現役を引退してからサンフレッチェ広島の育成コーチをしながら、日本サッカー協会でもトレセンコーチとして活動をさせていただきました。その経験は今の私に非常に大きなものとなりました。何かと言えば、地方を回って、グラスルーツのところから、いろいろなカテゴリーの活動を見させていただきました。指導者の方々がプロとして指導で生計を立てている方はごくわずかで、大勢の方々は仕事があり、家庭もあり、そして自チームの選手を見て、さらにトレセン活動に参加している。本当にボランティアの精神で自己犠牲を払って、選手を育ててくれているということ。そういう活動をクラブでも日本サッカー協会でも見させていただきました。

 そういう方々の努力があって、選手が育ち、私が今、仕事をさせていただく日本代表やオリンピック代表に選手を送り込んでいただいているということ。全ての指導者の努力があり、環境を整えてくださる周りの努力があって、我々は素晴らしい選手たちを見ることができる。日本を代表して戦うことができるということを忘れてはいけないと思います。そういう方々の気持ちを背負っていつも戦うということ、そこは肝に銘じて戦ってまいりたい。

少年や中学生、高校生などのアマチュア選手をボランティアで面倒みている指導者とその関係者の方の熱意が、世界で戦う日本代表を支えているとの趣旨である。サッカーに限らずスポーツ界全体を見渡してもほとんど聞かれなかったコメントである。自分の所属するチームや家族への謝意は数多くあったが、「自己犠牲を払って選手を育ててくれる」指導者の方へ配慮する代表監督というのはこれまでいなかったのではなかろうか。これから前途多難であろうが、最後まで応援したい監督である。

「強権フン・セン与党 中国が後ろ盾」

本日の東京新聞朝刊に、東南アジアで通商・安全保障上の戦略的要衝に位置するカンボジアの総選挙の模様が報じられていた。
記事によると、最大野党を解党に追い込んだり、マスコミに圧力をかけたりするフン・セン首相率いる与党「人民党」の圧勝が確実な情勢とのこと。フン・セン氏はもともと中国の援助のもと、1970年代に推定170万人の命を奪ったポル・ポト政権の軍司令官を務めた人物であり、1993年の民主化以降も、政権の座に居座り続けている。
「一帯一路」経済圏構想を進める習近平政権にとって、海に抜けるカンボジアは戦略的に重要で、投資や援助を惜しまない。また軍事面でも関係を深め、南シナ海で問題では中国寄りの立場を示し、16年には初の合同軍事演習も行っている。ウィキペディアによると、解党に追い込まれた最大野党の「救国党」に対して中国のサイバー攻撃がなされているそうだ。

旧ソ連でワルシャワ条約機構に加盟していた衛星国家や、南米における米国と結託した軍事政権を思い出させるような話である。今どきこんな時代錯誤な政治体制があったのかとびっくりである。先日、紅海の入り口のマンダブ海峡に面したアフリカ・ジブチ共和国に中国が基地を建設したとの報道もあったが、いよいよ「一帯一路」戦略が、構想段階を終えて、経済・軍事の両面で中央アジア、東南アジア、南アジア、中東、アフリカを制圧下に置こうとする中国の動きが表立ってきた。大変地域が広いだけに、細かい記事に注目していきたい。

『幕末』

司馬遼太郎『幕末』(文春文庫 1977)を少しだけ読む。
晩年元年三月三日朝、江戸城桜田門外で春の雪を血で染めた大老井伊直弼襲撃など、幕末に起こった12の暗殺事件の顛末を描く連作小説である。
第1話の「桜田門外の変」は、薩摩藩士として唯一襲撃に参加した有村次左衛門を中心に描く。治左衛門の心には薩摩藩を代表するという心意気が死ぬ直前まで消えることがなかった。

最後に司馬氏は次のように語る。
テロを肯定することはできない。しかし、悪政を倒す革命の始まりだと捉えれば、その意義はその後の歴史の中で丁寧に検証するしかない。司馬氏は「明治維新を肯定するとすれば」と限定を付けた上で、桜田門外の意義を説く。

 この桜田門外から幕府の崩壊が始まるのだが、その史的意義を説くのが本篇の目的ではない。ただ、暗殺という政治行為は、史上前進的な結局を生んだことは絶無といっていいが、この変だけは、例外といえる。明治維新を肯定するとすれば、それはこの桜田門外からはじまる。斬られた井伊直弼は、その最も重大な歴史的役割を、斬られたことによって果たした。三百年幕軍の最精鋭といわれた彦根藩は、十数人の浪士に斬り込まれて惨敗したことによって、倒幕の推進者を躍動させ、そのエネルギーが維新の招来を早めたといえる。この事件のどの死者にも、歴史は犬死をさせていない。

『日本住宅史図集』

住宅史研究会編『日本住宅史図集』(理工図書 1970)を読む。
大学の建築学科や家政科の講義の参考文献として編集されたもので、縄文時代の竪穴式住居から1960年代の団地や都市計画まで、2000年間の日本の住宅の展開図や構造の絵や写真が並ぶ資料集となっている。一概には比べられるものではないが、1950、60年代の鉄筋コンクリートの団地よりも、古代の茅葺の家や中世の茶室の方が遥かに人間らしいと感じる。
最近は日本の住宅事情を評する「ウサギ小屋」という言葉もあまり聞かれなくなったが、熱帯夜が続く今日この頃、果たして都心のワンルームマンションと古墳時代の住宅と、どちらが寝苦しいのだろうか。

昼間の疲れが出たためか、何だかよく分からない文章になってしまった。