南塚信吾+宮島直機『’89・東欧改革:何がどう変わったか』(講談社現代新書 1990)をパラパラと読む。
東欧の地図を理解しようと思って、本棚の奥から引っ張り出してみた。学生時代から本棚の奥に眠っていた本である。ユーゴスラヴィアの項目を執筆している柴宣弘氏の授業を受けたのがきっかけで手に入れた本だったのか、記憶が曖昧である。
1989年に民主主義革命が勃発し、一気にソ連の軛から離れたハンガリー、ポーランド、東独、チェコスロヴァキア、ブルガリア、ルーマニア、ユーゴスラヴィアの7つの国について、現在進行形(執筆当時)で政治の流れを追う。
7つの国といっても、その政治的展開は様々である。1956年の「10月革命」の流れを汲んで比較的穏健に改革を進めたハンガリー、「連帯」を通じて「国民の下からの要求」によって最初の非社会主義政権を誕生させたポーランド、西独への併合に対する反発から態度を硬化させ続けたものの一気に壁の崩壊へと向かった東独、学生デモに端を発したチェコスロヴァキア、比較的ソ連の手厚い保護のも農業工業を発展させてのっそりと革命を進行させたブルガリア、政府軍と反政府側の市街戦やチャウシェスク大統領の処刑といった過激な革命を成し遂げたルーマニア、国内の民族主義の台頭から共産党一党体制が瓦解したユーゴスラヴィア、などなど。
東独のホーネッカ政権について述べた下村由一氏の文が印象的だった。そのまま今のどこかの国の政権にあてはまりそうな内容である。
自動車の急増とともに、時代遅れの車の吐き出す排気ガスが町を汚染し、とくに冬ともなれば屋内暖房の出す煙と重なって、息のつまりそうなありさまに市民は苦しんだ。そればかりか、ライプツィヒの近くに集中する化学工場の、これまた老朽化した生産設備のたれ流し、吐き出す廃棄物は周辺の町々に深刻な影響を及ぼしていた。
さらに共和国にとっては、唯一のエネルギー資源である褐炭が共和国内部に産出する。その褐炭は露天掘りのため、これまたひどい粉塵をまきちらすのである。
このように公害が市民生活のなかで重大な問題となり、市民の不満をつのらせてきたのにたいし、ホーネッカ政権は、公害を克服するために真剣な努力を試みようとしなかったばかりか、公害問題にかんするいっさいの発言を封じ込め、問題の存在すら認めようとしないという態度にでた。空気が汚れている、川が、森が死滅しつつある……そんな指摘をするだけで、共和国に敵対する分子とみなされないありさまであった。自然と環境の破壊こそ、最大限の利潤の実現を第一に考える資本主義に固有の反人道的体質の表われ、と宣伝しつづけてきた以上、社会主義における問題の存在を認めるわけにはいかなかったのであろう。
それに、ここまで深刻化した事態を抜本的に改善するには、経済的・物質的にホーネッカ政権にもはやその力は残されていなかったというべきであろう。できるのは、福祉ばらまき=さまざまな名目での割り増し金・補助金の支給によって、市民の口を封じる糊塗策ばかりであった。
環境問題が全人類的な課題となり、その解決によってこそ政治・社会体制の優劣が決定されるともいえる現在、この課題への取り組みを放棄したホーネッカ政権の存在理由は失われたのである。