月別アーカイブ: 2016年11月

『上を下へのジレッタ』

手塚治虫『上を下へのジレッタ』(文春文庫 1995)を上下2巻読む。
表題作の他、青年大人向けの『刑事もどき』や『負け女郎』など数編の短編が収録されている。
1968年から1969年にかけて、実業之日本社刊行の『漫画サンデー』に連載された作品で、とある漫画家の妄想の世界(ジレッタ)を増幅器を介して他者もリアルに体験することができるという不思議な能力を巡ってドタバタ劇が展開される。覚醒剤の幻覚作用に近い

ちょうど今年は、360度3D空間でバーチャルリアリティを楽しむゲームが発売され話題をさらったこともあり、今後何かの折に話題になりそうな内容であった。

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「男の生き方 想像広げ 大水滸伝シリーズ完結」

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本日の東京新聞夕刊文化欄に、作家北方謙三氏のインタビュー記事が掲載されていた。
その中で、北方氏のある言葉が強く印象に残った。

現代を舞台にすると、物語がどんどん小さくなっちゃう。現実に誰かの首を飛ばして殺すなんて不可能でしょう。そうすると、登場人物の内面にばかり向かう。限りなく純文学に近づくんだよね。そういうものはあまり書きたくない。

北方氏は、国づくりのために命を燃やす男や、色恋に人生を狂わせる男などのハードボイルド作品を描く舞ために、「歴史小説」という舞台が必要だと述べる。
「なるほど」と思わず頷いてしまった。歴史小説の方が史実という制約が多いのではないかと思っていたが、現代の方が、ポリティカル・コレクトなど複雑なコードに縛られているのだ。

『スリル博士』

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手塚治虫『中期傑作集 (1):スリル博士』(小学館叢書 1995)を半分ほど読む。
1959年に『週刊少年サンデー』に連載された表題作のほか、同年『まんが王』に連載された『光』の2作が収録されている。巨匠の「傑作集」とあるのだが、博士と少年とギャング団のドタバタ連載劇となっている。当時の週刊誌のように10数ページ読み切りであれば続きが気になるところであるが、一気に連続して読んでいったために、途中で飽きてしまった。

『0マン』

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手塚治虫『0マン』(朝日ソノラマ 1972)全4巻を30年ぶりくらいに、一気に読み返す。
十数年前に実家から持ち帰って来て以来、そのままダンボールにしまったままになっていた本である。春日部に越してから、3回も引っ越しているのだが、全く手を付けずにしまいっぱなしになっていた漫画の一部である。
1959年から1960年にかけて雑誌『週刊少年サンデー』(小学館)に連載された作品であり、岸信介そっくりの首相や水爆など、時代を感じるものであった。
「愚かな」人間と、「優秀な」0マンとの対決が壮大なスケールで描かれる。アルコール混じりで読んだせいもあるが、あまりに話の展開がすっ飛んでいるので、途中から登場人物の動向を把握しきれなくなった。しかし、中学生くらいにワクワクしながら読んだ記憶を半ば思い出しながら、楽しく読むことができた。