本日の東京新聞朝刊の投稿欄に、学生時代の友人の投稿が載っていた。
普段、読者欄などは読み飛ばしてしまうのだが、何か繋がるものがあったのか、たまたま目を通した記事に、20年弱前の学生時代に1年間一緒に働いた友人の投稿があった。つい先日、学生時代のアパートを訪れたばかりだったので、再び学生時分の感覚に引き戻されたような感じがした。
記事を読みながら、ふつふつと記憶の底から20年前のとある光景が蘇ってきた。私の記憶に間違いがなければ、一緒に夕食を共にした時に何かの話のついでに、彼が「受験という勝負に勝ってきた」「将来は金融関係の仕事に就き、困っている経営者への融資など、積極的に人と関わる仕事がしたい」と漏らしていたことを思い出した。まさにその時の彼のセリフそのままの内容の投稿であった。つい中島みゆきの「時代」のメロディーが頭の中でリフレインしてしまう。
高校・大学時代に漠然とでも考えていた将来像は、その後のその人の人生に大きな影響を及ぼすというのが私の持論である。高校や大学を卒業後、社会に出て、時代の波に翻弄されながら、どんどん次へ次へと道を開拓し突き進んでいるようで、実は子ども時代の夢を懸命に追いかけているのが人間である。
最近、40代のスポーツ選手の引退報道が続いている。身体共に人生の節目を迎えるのが40代前半である。松尾芭蕉も人生を締めくくる旅の総仕上げとして、45歳で奥の細道の旅に出発している。ちょうど自分の足元を見つめなおし、来し方行く末をじっくりと考える、いや考えなくてはいけない時期に差し掛かっているのであろう。