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秩父~下仁田~大鹿村 中央構造線を巡る 後編

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茅野市内のコンビニで車中泊した。
最初山の上の方で寝ていたのだが、寒くて目が覚めてしまった。
夜中にふもとまで下りてきて、また眠った。
目が覚めて、体の節々に強張りを感じたまま、一路南アルプスのジオバークを目指す。
写真は着替えたり顔を洗ったりした杖突峠の駐車場からの眺め。

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高藤城址公園の案内図

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国道152号沿い、伊那市にある美和ダムの様子。長野県飯田市から静岡県浜松市に至る国道152号線は北は杖突街道、南は秋葉街道と呼ばれ、中央構造線に沿って道が延びている。

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伊那市にある中央構造線板山露頭に実際に手で触れる。中指を境に親指側と小指側で地層が異なる。わずか10数センチ親指と小指の距離であるが、断層をまたぐこのわずかの距離の中に、何十キロ、何千年という時間が流れているのだ。

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美和湖を望む伊那市長谷中学校の裏手にあった、その名もずばりの中央構造線公園。
これまた、「発見」するのに苦労した。たまたま見つかったといっても過言ではない。信州のシュリーマンになった気分だ。

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美和湖を後にして、黒川沿いの林道から、切り立った山が見える場所を目指すが、途中で道を間違えて、砂利道の林道を突っ走ることになった。昔のオフロードバイクの感覚で気持ちよく上って行ったのだが、勾配が険しくなった途端、ノーマルタイヤの1BOXカーで走ることに恐怖を感じた。あえなく道の途中でUターンして退散。

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国道152号を南に下っていくと、山の峠の付近で丁度中央構造線とぶつかる。なにやら怪しげなのだが、

分杭峠付近に車を停めることができないので、少し離れたところに車を停めて、折りたたみ自転車でアプローチ

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中央構造線北川露頭
これは国道沿いに看板が出ていたのですぐに見つかった。

 

 

大鹿村歴史博物館

 

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長瀞〜下仁田〜大鹿村 中央構造線を巡る 前編

中央構造線を巡る 長瀞〜下仁田〜大鹿村

先日、東京新聞日曜版で上掲の「ジオパーク」なるものが特集されていた。職場の机に張って、時折眺めては、日本の地形や地質に思いを馳せていた。

「ジオパーク」といっても聞き慣れない名称である。数年前に発足した日本ジオパーク委員会が認定する地質学上の価値の高い地域のことである。隠岐や洞爺湖有珠山、糸魚川など、現在では33の地域が同委員会のホームページに紹介されている。

  □日本ジオパークネットワーク[Japanese Geoparks Network]公式サイト

今年の夏も、2日間だけ妻より夏休みを貰ったので、車に着替えと毛布と冒険心だけを積んで地球の鼓動を調査・体感する行き当たりばったりの旅に出かけた。ジャンジャーン!!

といっても、どこへ行っていいのか分からなかったので、まずは、埼玉県長瀞にある「自然の博物館」に行った。10万分の1の地図を片手にテキトーに向かったので、鴻巣や東松山、熊谷周辺をうろうろした挙げ句に渋滞にハマって3時間近くかかってしまった。

ちょうど埼玉に生息していた恐竜の特別展示の時期だったので、小学生や家族連れがたくさん展示の前に集っていた。40過ぎのおじさんも負けじと石灰岩や秩父地域の土地の隆起のパネルを食い入るように眺めた。まだ断層についての知識がなかったので、埼玉から海の恐竜の化石が発見されていることや、埼玉が大昔海の底だった事実にビックリしただけであった。

  

  

展示を見ても、秩父地域から堆積岩が多数出土していますということだけで、今回の目的である中央構造線に関する説明は少なかった。そこで、秩父からほど近い下仁田に行くことにした。


埼玉県小鹿野町から群馬県神流町へと通じる国道299号線の志賀坂峠から。この場所から山地地溝帯といい、断層により土地が数十キロにわたって沈降している様子が伺えるとのことであったが、生憎の雨で周囲の様子すらガスってしまい見渡すことができなかった。頁岩、砂岩、礫岩などの白亜紀前期の地層が分布しており、同じ地層の群馬県からは4つの恐竜の化石が発見されており、埼玉県側からの発見が期待されている。

丁度日航機が墜落した御巣鷹山で慰霊祭が行われていた上野村の道の駅で昼食をとった後、群馬県下仁田村へ向かった。

廃校になった小学校を活用した下仁田町自然史館の外観。

□下仁田ジオパーク推進室|多様な大地の変動から古代人の足音まで

 
最初に15分ほど、地元の小学生対象の学習ビデオを拝見した。観客は一人。感嘆しても一人。
下仁田町自体が何十キロも土地が横ずれした中央構造線の真上にあり、町の各所にある中央構造線のスポットを紹介した観光ビデオともなっている。

 


自然史館の道路はさんで向かいにある「跡倉クリッペ」の様子。
中央構造線の断層が山の横を走っており、山頂とふもとで断層のつながりがない根なし山といわれている。
写真では左下から右上に走る境目がすべり面にあたり、上部は恐竜時代の海の地層である。

 

 
鏑川と南牧川の合流点にある青い石畳の青岩公園。火山岩、堆積岩、深成岩の全てが一箇所に揃った珍しい公園である。
雨がぱらついており誰もいない中で、地層の形成過程に思いを馳せる。

 

ここからがオリエンテーリング状態であった。全くの田舎に突然、最近になってあらたに案内看板だけが新設されただけなので、地図にも全く載っておらず、見つけるだけで精一杯であった。しかし、終わってみると良い思い出となった。

 

 
川井の断層
左右で地層が全く異なる中央構造線が地表に露呈した場所で、関東地方で最もよく観察できる場所である。
三重県に特別警報が発令された大型の台風11号の影響のためか、道もぐちゃぐちゃで、久しぶりにズポッと足が取られる感覚を味わった。近づくための手すりもなく、1メートルほどの岩を昇ってようやく到達することできた。
帰りに足元が滑って手をついたところ、手の掌を少し切るアクシデントもあった。

 


大桑原の褶曲
これまた地図にも載っておらず、自然史館で貰ったパンフレットにも詳細なポイントは明記されておらず、「発見」するのに大変苦労した。周囲を車で何度もグルグル回った挙げ句、普通の民家の裏手に隠されているかのごとく案内版がある。見つけたときは本当に文字通り「小躍り」してしまった。
くりっぺを構成する地層が、移動時の運動によってV字型に大きく折れ曲がった様子が確認できる。

 

 
宮室の逆転層
これも工事で車の通行ができない橋を越えると突然案内が表れる。この地点は駐車場も用意されているのだが、そこからの誘導掲示が全くないので、たどりつけない人が続出するであろう。
クリッペj形成時の大きな大地の力によって地層が逆転し、上下さかさまになっている様子が見られる。

 
すでに日も傾きかけていたが、世界遺産に登録されたばかりの荒船風穴を目指した。途中、看板を見落としてしまい、裏道の神津牧場から延々と山道を走ることになった。ここでも観客は一人。遺産一人。

 

 

 
荒船2号風穴の様子。
荒船風穴とは、1905年(明治38年)から39年(昭和4年)まで下仁田南野牧にあった蚕種の貯蔵施設のことである。荒船山の北麓、標高900m近い場所にあり、夏でも岩の隙間から2、3度の冷風が吹き出す「天然の冷蔵庫」を活用し、繭の生産増に大きく貢献した。

 


一番奥にある1号風穴の様子。温度計が設置されており、3、4度しかなく、不思議な感覚であった。

 


入り口付近のバスの折り返し場に冷風体験のコーナーがあった。本当にクーラーのように冷風が吹き出しているのが体験できる。気圧差によるものであろうが、山の持つ自然の力をたっぷりと実感した。

経済学史 第2課題

貨幣論・金融論
 Smithによれば,貨幣とは「流通の大車輪にして,商業の偉大な用具である」であり,金属貨幣に代替する紙幣については,「経費のずっとかからない便利な道具」であると述べる。さらに,金銀貨の価値を保証する紙幣を市場に円滑に,かつ十二分に流通させ,経済活動水準を高める銀行業の役割を取り上げる。そして,紙幣の供給の過剰が金融危機を招いた事例を挙げ,銀行業の政府による規制の必要性を説く。

生産的労働と不生産的労働
 生産的労働とは,製造工のように,資本によって雇用され,利潤を付加して再生産される労働である。これに対して,不生産労働とは,家事使用人や官吏,軍人等のように,収入によって雇用され,消費するだけで何も残さない労働である。「資本が優勢なところでは勤勉が広がり,収入が優勢なところでは怠惰がはびこる」とSmithが述べたように,国家財政を視点にすると,生産的労働者が多いほど,資本が毎年再生産され,富裕が実現される。

資本蓄積論
 Smithは「全ての浪費家は公共社会の敵であり,節約家はすべてその恩人である」と述べ,生産的労働者を雇用する資本は,人々の貯蓄によって増大し,浪費によって減少するため,浪費を断罪している。また,「国王や大臣こそ,常に例外なく社会における最大の浪費家なのである」と述べ,特に公的浪費=戦争こそが最大の国家破滅の要因だと断じる。さらに,「自分の生活状態の改善をめざしての,あらゆる人間の画一的な恒常不断の努力こそは,…政府の濫費や行政上の最大の過誤にもかかわらず,改善をめざす事物自然の進歩を維持するにたりるほど強力な場合が多い」と,重商主義を遂行するための戦争による政府の浪費が,たとえ富裕の自然的進歩を遅らせるとしても,個人の節約と善行が,あらゆる浪費を償ってきたのである。

重商主義批判
 重商主義政策は,国内の特定産業による国内市場の独占を招き,商品価格と利潤率とを著しく引き上げ,他産業から資本と労働とが当該産業に片寄る結果となり,自由競争によって実現される自然な資源配分を妨げ,資本蓄積を妨げて富裕の進歩を遅らせることになってしまう。資本を有する各個人は,人為的な政策の妨げがなければ,社会の利益などではなくて単に自分の利益だけを追究して,資本を最も有利な方法で用いようとするものであり,その結果として,全生産物の価値と社会の収入とは最大になるのである。Smithは,道徳的感情に規制された個人の利己的な行動が,社会全体に寄与し,自然的秩序による社会が形成されるという考えのもと,重商主義に見られる個人の経済生活に対する政治の介入を厳しく否定したのである。

「見えざる手」 
 「外国の産業よりも国内の産業を維持するのは,ただ自分自身の安全を思ってのことである。そして生産物が最大の価値をもつように産業を運営するのは,自分自身の利益のためなのである。だが,こうすることによって,かれは,ある見えざる手に導かれて,自分では意図していなかったある目的を促進することになる」
 『国富論』の中では上記のように述べられており,人間生来の賢明さを前提とし,決定論的・予定調和的なキリスト教的な考え方に根ざしたものである。

自由貿易論
 Smithは,自由放任主義者と捉われる節もあるが,国内経済を混乱させない程度の一定の関税と輸出奨励金を認めていた。そして,「植民地貿易の排他的独占を許している諸々の法律を適度に漸次的に緩和」し,「完全なる自由・正義の自然的秩序」を実現するための過程において政府の規制・介入の必要性を述べる。また,「消費こそは全ての生産にとっての唯一の目標であり,かつ目的である。従って,生産者の利益は,それが消費者の利益を促進するのに必要な限りで配慮されるべきものである」と述べ,生産者の利益を保護する重商主義を厳しく批判している。

自然的自由の体系
 輸入制限と輸出奨励策が漸次的に全て撤廃され,自然的自由な社会が実現されるならば,国家は防衛・司法・一定の公共事業を担うだけで,各個人は「正義の法を犯さぬかぎり」完全自由に委ねられるべきものである。

財政論
 Smithの財政政策は,いわゆる「安上がりの夜警国家」として巷間知られるが,自然的自由の体系を実現するための障害は政府の叡智によって除去して行くべきだと何度も強調している。すなわち司法による正義の実現や国防,教育制度,貧困対策などは,「利己心に基づく分業という文明社会の大原理に対する顕著な例外」であるとしている。特に教育については,単純作業が人間を愚鈍・無知にし,精神を麻痺させ,判断力もなく武勇の精神も朽ちさせてしまうと分業による非人間的なマイナス面を指摘し,政府による「全人的」な教育政策の配慮を強調している。

『ケインズを学ぶ』

根井雅弘『ケインズを学ぶ』(講談社現代新書 1996)を読む。
経済学史でケインズの『一般論』のレポートを書くために手に取った。
ケインズといっても、新聞やテレビニュースレベルの知識では、不況期において政府主導の公共投資を拡充し、有効需要を増やすことで失業率を減らし、金融緩和を行うことでインフレに導くことを主張した経済学者ということぐらいしか知らなかった。

高校生向けの分かりやすい内容という触れ込みだが、読み込むのに苦労した。前半はある程度の世界史の知識が求められ、後半はケインズの「乗数理論」の説明に展開式が入ってくる。しかし、イギリスの政治に深くコミットし、第1次大戦、第2次大戦を通じて英国の外交交渉に携わり、経済学を一時代の一地域のみでしか通用しない「特殊」な「法則」から、どの時代のどの地域でも使える「一般」的な「科学」へと押し上げた功績を否定できる者はいない。ケインズ理論の詳細はよく分からないままであったが、彼の筋の通った生き方はよく伝わってきた。

著者の根井氏であるが、1962年生まれなので執筆当時34歳である。経歴検索すると、38歳で京都大学経済学部の教授となっている。世の中には天才がいるものだと感心すること一入であった。

成田山新勝寺

仕事の関係で成田に来ている。
本日の夕方少し時間があったので、成田山新勝寺を参詣した。台風11号の影響で、途中通り雨に祟られたが、ゆったりと本堂を回ることができた。
長い歴史はさておき、とりわけ目に留まるような豪壮な建物があるわけではない。しかし、成田駅から車で向かう途中の土産物屋やうなぎ料理屋の数にはびっくりした。おそらくは神奈川県・大山阿夫利神社と同じく、江戸の人々のお清め目的の参拝としてちょうど具合のよい場所にあったのだろう。事実、江戸から成田山に向かう成田街道の途中には歓楽街で名を馳せた船橋宿がある。
疲れが澱のごとくたまった心身の一時の気晴らしにはなった。