本日の東京新聞朝刊に、1992年以来19年ぶりに、今年の死刑執行がゼロであったとの記事が掲載されていた。未執行のまま拘置所に収容されている死刑確定囚は129人いるが、今年に入り法相を務めた三人が、執行に必要な大臣命令を出していない。
現法相の平岡法相は「命令しないのにはさまざまな要因がある」と会見で述べている。刑事訴訟法では、死刑判決確定から原則6ヶ月以内に法相が執行命令を出すよう定めている。しかし、民主党政権下での執行は昨年7月、千葉元法相が2人だけ行っただけで、以後2ヶ月兼務した仙谷由人官房長官、7ヶ月在任した江田五月前法相も執行に慎重な態度を見せていた。
私は国家権力のもとでの死刑執行には反対である。「国民主権」の現憲法においては、国民の一人一人が死刑執行に責任を負うことになる。経済格差や地域・家庭の希薄化、情報の濫造が死刑に至るような重大犯罪を誘発するのであって、100%個人の責任に帰することは危険である。私はそうした社会状況が生み出した犯罪に対する刑罰としての死刑に、主権者として賛成できない。また、検察の捏造や冤罪が後を絶たない現状を鑑みても死刑制度そのものを即時廃止すべきである。
しかし、一方、法相の個人的な哲学で死刑執行が延期されるのも問題である。法治国家である以上、行政府は法律に縛られなくてはならない。行政府は法律の定める範囲内で出来るだけ思いやりを持ち、かつ粛々と仕事を行うべきである。それ以上については法律そのものの改正に期するべきである。死刑制度には反対であるが、刑事訴訟法の執行は厳粛に行っていくべきである。また天皇個人の結婚や就任に伴う恩赦も法制度を根幹から揺るがすものである。個人的な見解や行事で法治国家の原則は曲げてはならない。