月別アーカイブ: 2011年2月

『子供をゆがませる「間取り」』

横山彰人『子供をゆがませる「間取り」』(情報センター出版局 2001)を読む。
ちょうど、引っ越しを意識している昨今だったので、大変参考になった。
筆者は、建築設計事務所を経営する一級建築士であり、新潟の少女監禁事件や神戸連続児童殺傷事件など、凶悪犯罪に走ってしまった子どもの家庭の住環境と家族関係を大胆に分析している。そして、子どもと親密なコミュニケーションを保つための具体的なリフォームプランを数多く提案している。
特に筆者は子どものための広い個室の部屋を前提とした間取りは、子どもが自分だけの占有スペースに籠もってしまい、家族の団らんが追いやられてしまうと警告する。そして、家自体は親のものであり、子ども部屋は親の管理下にあるということを子どもに教え込むことが、子どもの成長に安心感を与えると述べる。一方で、子どもの占有スペースは本棚やカーテン、また家族の間のルールの元に保障することで、良い意味での自立が促される。また、キッチン、ダイニング、リビングをできるだけ広いオープンスペースで設計もしくはリフォームし、中学校まで子どもはリビングで会話をしながら勉強し、兄弟への気遣いをする生活スタイルこそが、子どもの成長につながると説く。筆者は子ども部屋のあり方について次のように述べる。

  1. 勉強机とベッド(または布団)が置ければよいのだから、スペースは3畳で充分。快適な個室は引きこもりを助長する。
  2. 子ども部屋と玄関先を結ぶ動線上にダイニングやリビングがあること。
  3. 日当たりのよさを必要以上に求めない。むしろ悪いくらいでいい。
  4. 親の目が常に届く位置にあり、少なくとも気配が感じられる配慮が大切であること。

『太平洋の奇跡:フォックスと呼ばれた男』

子ども二人を風呂に入れて、ララガーデンへ出かけた。疲れがちょっと溜まっていたが、こういう時こそ、映画館の暗闇に惹かれてしまう。
平山秀幸監督、竹野内豊主演『太平洋の奇跡:フォックスと呼ばれた男』(2011 東宝)を観た。
サイパン島で戦争が終わったにも関わらず、兵士47人をまとめ、ゲリラ活動を続けた大場大尉の姿が描かれる。

『都市という廃墟』

松山巌『都市という廃墟』(ちくま文庫 1993)を読む。
ずいぶん長く本棚に眠っていた本を引っ張り出してきた。おそらく十数年眠っていたことであろう。先日、『ファスト風土化する日本』という本を読んだことに刺激を受け手に取ってみた。
雑誌「新潮」の1987年1月号から12月号まで連載された文章に手直しが加えられたものである。芦屋や札幌郊外、都心から40キロの町田や八王子、松戸などの新興住宅地で、犯罪や自殺、孤独死などが頻発するという事態を都市計画や建築、三島由紀夫の文学から検証を加えるという面白い企画である。また、それ以外にも、原宿やディズニーランド、鹿島灘などを訪れ、生活環境と人間の心理・行動について考察を深めている。
三島の作品をほとんど読んだことがないので、三島の予感と現代社会の風景との類似の部分はあまり理解できなかった。しかし、印象に残った筆者の言葉を引用してみたい。

つくばセンタービルから岩槻のモーテルまで、そこに共通するような、すべてが断片化し、相対化された社会を私たちが実感するのは、確かに1968年を過ぎてからであろう。しかし、それはラディカリズムの時代を「乗り越えた」結果とはいえまい。そもそもあのラディカリズムそのものが今日の出発ではなかったのか。すなわち、すべての価値が相対化し、自分自身を見失い始めたからこそ、学生たちは世界の変貌を叫んだのだ。
そして彼らが予感したとおり、到来したのは(中略)すべては断片化されて、自己と他人との差がつかぬ合せ鏡のような、「意味を欠き、法則性を欠い」た世界であった。ポストモダンの状況とは果てしなく謎を求める建築が生まれるような事態ではなく、まったく謎も存在しえない断片の世界なのではないのか。どこの町や市でも同じような文化センターが作られ、しかもさして使われぬという“文化”という言葉だけがもてはやされる状況がある。筑波学園都市を訪ねて感じたのも、実はこの謎のなさであり文化という言葉の独り歩きであった。

地上げによって消えて行くのは「人間の作った最も親しみやすい一つの思想」である町なのだ。なぜ町は一つの思想なのか。人は町に生まれ、育ち、やがて死ぬ。そしてそこから生きる方法を学ぶからだ。ものが作られ、流れ、使われ、再生していく。町にはある秩序が存在し、それがどのように繋がり、動き、生きているかを人は悟り、自らをも更新して行くからだ。昭和61年の1年間に都区内部の公衆浴場が三十八件廃業した。比較的まとまった敷地をもつから底地買いに狙われるのである。結果、居住者は減り、魚屋、八百屋、米屋、豆腐屋が消え、そして町が亡ぶ。

過去の自分の姿に出会った

仕事の出張で、早稲田大学の文学部戸山キャンパスにある記念会堂に出かけた。
卒業してから10年以上経つが、大学の施設の中に足を踏み入れることはこれまでほとんどなかった。本日は大学入試の日だったので、記念会堂のみ入構が認められていた。大学構内も周辺も新しいビルがスクラップアンドビルドで建てられ、当時の風景の記憶すらかき消してしまうほどの変貌ぶりである。毎週のように通った大隈商店街外れの魚料理屋「にいみ」も潰れていた。しかし、記念会堂の中は、時が止まったように昔のままであった。壁に貼ってある注意書きまでそのままであった。文学的な物言いをすると、昔の風景に迷い込んでしまったような錯覚すら感じた。
仕事が終わってから、正門前をぶらぶらしていたら、ちょうど試験が終わったようで大量の受験生の塊が正門から吐き出されてきた。昔のようなドンチャンのお祭り騒ぎはなく、子どもの姿を探す保護者ばかりが目立った。
試験が終わってほっとした様子の受験生も、後ろから次々に来る人波に流されながらバスや地下鉄の入り口に吸収されていった。

私自身も受験生の波にもまれながら正門から地下鉄早稲田駅まで歩いていった。今現在の私も、自身の受験した時の人波に20年近く流され続けているのかもしれない。後ろから人が来るから、前の人が歩くから、仕方なく歩みを前に進めているだけかもしれない。そんなことを考えながら早稲田を後にした。

 

昔と変わらない記念会堂のステージとその入り口の様子

『壁を越える技術』

西谷昇二『壁を越える技術』(サンマーク出版 2007)を読む。
20年間にわたり、代々木ゼミナールの「カリスマNo.1英語講師」の座を守っている著者の浪人生に向けた熱いメッセージである。「壁越えのカケラを思い出せ」「敗者復活戦での戦い方」「霧にもがいたら一点突破」「挫折は成功への踊り場」といった章立てで、壁を前にした逆境こそ、長い人生の貴重な肥やしとなると訴える。