太田あや『東大合格生のノートは必ず美しい』(文藝春秋 2008)を読む。
勤務先の学校の黒板がホワイトボードに替わり,これまで以上に自分自身の板書の字の汚さが目につき,レイアウトだけでも見やすさに工夫を凝らし,字の汚さをカバーしたいと思い手に取ってみた。
サンプルとして掲載されているノートは,決してタイトル通りの見栄えの美しいものばかりではない。しかし,ただ板書事項をきれいに写すのではなく,余白や色ペンなどを用いて,自分なりのスタイルで自分の頭で理解しようとする工夫が見られた。授業を聞ききながら,自分の頭の中で理解の過程を文字と絵で再編成するといった感じだ。板書をする教員という立場ではまるごと参考になったわけでないが,黒板にただ生徒が書き写すための文字を書いていれば良いという時代は確実に終わりを告げつつある。その予兆だけは強く感じた。
〈東大ノート7つの法則〉
と:とにかく文頭は揃える
う:写す必要がなければコピー
だ:大胆に余白をとる
い:インデックスを活用
の:ノートは区切りが肝心
お:オリジナルのフォーマットを持つ
と:当然,丁寧に書いている