月別アーカイブ: 2006年7月

〈医学2〉

 痴呆は様々な原因によって,脳の中のいろいろな場所,特に前頭葉,側頭葉,あるいはそのなかの記憶を司る海馬というところが損傷を受けることで症状が出てくる。痴呆そのものは若い人でも起こる可能性があるが,高齢,特に80歳を超えると4〜5人に一人が痴呆症になると言われている。脳の老化と密接に関連して起こる老化性痴呆には大きく分けて次のタイプがある。

脳血管性痴呆
 脳血管性痴呆の原因となる病気はいろいろとあるが,もっとも重大なのは,脳梗塞や脳出血の下地となってしまう,脳の動脈が堅く狭くなる脳動脈硬化症である。脳の神経細胞へ酸素や栄養が届かなくなり障害が起きてしまう。脳梗塞や脳出血後の痴呆は,男性に多く,脳の障害がまだら状に起こるのが特徴である。初期段階では物忘れを自覚し,人格は保たれやすいが,些細なことで怒り出したり泣き出したりする感情失禁やせん妄が起こりやすく,しびれや動きの鈍さ,まひなどの行動面での障害を伴うことが多い。症状が動揺しやすく,階段状に進行していく。画像診断で梗塞などの病巣が分かる。危険因子として高血圧,高脂血症,糖尿病,心臓病,肥満,喫煙の習慣,酒の飲みすぎ,ストレスなどが挙げられる。

変性性痴呆
 脳の実質の変成により神経細胞が脱落し,脳が萎縮して起こる。アルツハイマー型痴呆はその代表で,ベータプロテインという蛋白がアミロイドという異常蛋白を作り,老人斑というシミを増やし,神経細胞に糸くず状のものが溜まり,大脳皮質の神経細胞が全般的に変性し脱落することで障害が生じる。アルツハイマー型は女性に多く,なだらかに進行するのが特徴である。機能低下が全体的に起こり,物忘れの自覚が失われ,感情表現も乏しくなりがちである。仮性作業や仮性対話が起こりやすく人格が変わることが在る。また異常な言動を起こしやすく,最終的には身体機能も低下して寝たきりになってしまう。MRI画像診断で脳の萎縮状態を診ることができる。

内蔵疾患による痴呆
 また,痴呆の症状は脳の病気だけが原因ではない。内蔵の病気に伴って脳症を起こし,痴呆の症状が出ることが在る。例えば,高血圧や糖尿病が悪化して腎臓の機能が低下すると,「尿毒症」を起こして意識障害や痴呆の症状が出ることがある。肝硬変が進行して肝臓の機能が低下すると,血液中にアンモニアなどがたまって脳をおかすことがある。これを肝性脳症という。また,糖尿病で血糖降下薬あるいはインスリンを使用している人では,空腹状態が続いたりして血糖値が下がり過ぎると,意識が朦朧としたり,高齢者では痴呆のような症状が出ることが在る。これを低血糖性脳症という。万が一発作が起こったら,すぐに砂糖や甘いジュースなどで糖分を補うと症状が治まる。

参考文献
小阪憲司「治る痴呆,防げる痴呆」『痴呆症はここまで治る』 主婦と生活社 1998年

〈障害者福祉論2〉

 わが国における障害者雇用施策の基本となる法律は1960年に制定された身体障害者雇用促進法である。その後,障害者雇用が努力義務から法的義務へと強化され,知的障害者や精神障害者にまで対象を拡大することなどが盛り込まれた。1992年には雇用の促進に加え,雇用の安定を図ること及び職業リハビリテーション対策の推進を内容とする「障害者の雇用の促進等に関する法律」に変更された。2006年にはIT関係などの在宅就業障害者や在宅就業支援団体に対する給付も始まっている。現在の法定雇用率は,数度の改正を経て,常用雇用労働者数が56人以上の民間企業は1.8%,国及び地方公共団体・特殊法人2.1%となっている。また,雇用率の計算にあたっては重度の障害者については1人を2人分とするなど,重度の障害者の雇用をも進めている。

 しかし,障害者の実際の雇用状況については,ここ30年間で大きく向上したものの,法定雇用率をなお0.32ポイント下回っている。障害者の法定雇用未達の事業主は不足分1人につき,月額5万円が徴収されているが,常用雇用労働者数が300人以下の事業主は納付金が免除されており,大企業でも納付金を納めてしまった方が「お得」だと判断する事業主も多く,雇用率は頭打ちしている。私の住む埼玉県の民間企業では1.41%,さらに,従業員100人から299人規模の企業での障害者雇用率は1.1%となっており,いずれも全国平均を大きく下回っている。

 今後,障害者の雇用率を上げ,安定した雇用環境を作っていくには,養護学校との連携がますます重要になってくると考える。ここ20年,養護学校が量的に質的にも充実し,大半の障害者が養護学校高等部で学ぶ環境が作られてきた。しかし,現在教育現場と労働現場の人的交流はほとんどなく,学校側では卒業生を送り出した後のフォロー体制が未整備であり,一方,受け入れ先の労働現場でも白紙の状態で卒業生を受け入れざるを得ず,高等部まで積み上げてきた教育実践を生かしきれていない。

 埼玉県川口市で知的障害者を数多く受け入れている千代田技研という鋳造工場を経営する鈴木静子さんは,教育と労働の連携の未整備という状況を踏まえ,障害者の指導に当たる公的な専門員の制度を提案している。障害者の対応に長けている専門員が,養護学校在学時から卒業後一定期間,企業で障害者の教育,指導に当たってくれたら,ますます障害者を受け入れる企業が増えていくだろうと述べている。

 文科省は特別支援教育施策の中で,学校卒業後までの一貫した福祉や労働機関との連携のもとで,1人ひとりの教育的ニーズに応じた支援を行う「個別の教育支援計画」の作成をすすめている。現状では生徒個人にまつわる関係機関名が書き込まれた書類の作成に留まっているが,今後職業教育と雇用が一体となった体制が組まれることが期待される。

〈参考文献〉
鈴木静子『向日葵の若者たち:障害者の働く喜びが私たちの生きがい』本の泉社,1998

〈介護概論〉

 日本では介護を嫁や娘など家族に頼る傾向が戦後も長く続き,介護に従事する者を単なる家事手伝いのように捉える土壌が作られてしまった。1974年発行の「社会福祉辞典」によれば,介護とは「介助や身のまわりの世話をすること」とあり,その介護に当っては「家族がする場合と本人や家族を援護するための家庭奉仕員や施設職員などがする場合があり,特に疾病の独居老人の援護の場合,近隣の主婦などの『介護人』がその業務の従事者」とあり,家族もしくは家族に代わる者のみが介護に携わっていた当時の現状が伺われる。そして,核家族化・少子化が進展し,介護を他の組織や民間業者に委託するようになった現在でも,介護士を女中扱いしてしまう利用者も多い。

 しかし,デイサービスやグループホームなど家庭以外での様々な福祉サービスができ,四点杖や電動車椅子などの福祉機器が高度化していく中で,医療や看護との連携,介護に携わる者の専門性がますます問われるようになってきている。利用者の肌に直接触れて言葉を交わす介護士こそが利用者にもっとも身近な窓口である。介護士の専門性を周囲が認め,今後の介護サービスにおいては,介護士を中心とした組織の態様への変換が求められているといって過言ではない。

 そうした介護士の専門性の保障として,1987年に「社会福祉士及び介護福祉士法」が制定された。その第1条では「介護福祉士の資格を定めて,その業務の適正を図り,もって社会福祉の増進に寄与することを目的とする」とその大枠を定め,第2条において「専門的知識及び技術をもって…介護を行い,ならびにその者及びその介護者に対して介護に関する指導を行うことを業とする者」と定義づけた。介護に直接当るだけでなく,介護に関する教育・指導者としての役割も期待されている。さらに,信用失墜行為の禁止や秘密保持も盛り込まれ,資格保持者に対する信用を裏付けている。また,介護の具体的な場面においては,看護業務と介護業務が密接不可分であることを踏まえ,第48条で「その業務を行なうに当たっては,医師その他の医療関係者との連携を保たなければならない」と定め,医療福祉のチームワークにおける重要な要の役を担うこととなっている。

 厚生労働省は2006年7月,介護福祉士の資格取得の条件を厳しくする方針を決めた。国家試験を受けずに資格を取得できた介護専門学校の卒業生らも国家試験の合格を必須とし,実務経験後に試験を受け介護福祉士となる介護施設職員やホームヘルパーには試験の前に一定の教育を義務付ける制度に変更するということだ。

 国家試験を経て,専門的知識と技術を身に付けた介護福祉士の質的向上を図ることが,組織の中で介護職が自立するのに最も重要な要件であり,国家試験の厳格化は避けて通れないであろう。

〈参考文献〉
社会福祉専門職問題研究会『社会福祉士介護福祉士になるために』誠信書房,1994
藤原瑠美『残り火のいのち 在宅介護11年の記録』集英社新書,2002

民間校長

 本日の東京新聞に民間企業から埼玉県の飯能市立双柳小学校長に着任した中村恵太朗校長が紹介されていた。
 日産ディーゼル工業において経理や人事畑で30年間勤務した後、「小学生のときに親や教師から教えられたことは忘れない。いいかかわり合いをつくる手助けをしたい」と教育界に飛び込んだということだ。彼は「管理職がすべきことは、会社でも学校でも、そう変わらない。ビジョンを示して現場の声に耳を傾け、課題を共有して環境を整え、個人を目標に向わせる。それが基本」「どちらがいい、悪いじゃなく、会社と学校のギャップを指し示し、先生や子どもの能力を引き出すエネルギーに変えていきたい」と語る。今どきの管理職には珍しく至極真っ当な見解である。
 「非常識」な考えを持った教員集団の中で、企業の「常識」が通用するのかどうか、大変に苦労されていると思うが、子どもから一番離れている(離れたがっている)管理職集団に気持ちの良い風穴を空けてほしいものだ。

『宣戦布告』

麻生幾『宣戦布告』(講談社 1998)を読む。
北朝鮮のスパイ11名が敦賀半島に潜入してきたという架空の状況に直面して、日本の内閣や警察、自衛隊がどのように動くのかを緻密にシュミレートしたフィクションである。しかし、実際に自衛隊や公安との付き合いも深い著者ならではの作品に仕上がっていて、極限状態では自衛隊のシビリアンコントロールは全く意味をなさないことや、警察と自衛隊の共同歩調の難しさ、アメリカのご都合を伺うだけの内閣の意志決定力不足など、実際に戦争になった際の日本国家としての態勢の決定的な不備を鋭く突いている。朝鮮有事を想定した日米安保やそれを有効に実施するための一連の日米ガイドライン関連法案が、逆に自衛隊の動きを封じ込め、軍事力の前には無防備な警察官を無残な死に至らしめると著者は指摘する。
残念なことに、北朝鮮は金正日の意のままに動く軍事国家であり、北朝鮮兵は洗脳された殺戮集団であるといった一方的な描き方がなされている。そのため、そうした北朝鮮の侵略に際して、平和を基調とした日本国憲法は邪魔な存在であり、有効な自衛体制をいち早く整備する必要があるという考え方に、読む側はどうしても誘導されてしまう。そうした一方的な解釈に囚われなければ、戦争における人間ドラマとして楽しめる作品である。