日別アーカイブ: 2006年7月31日

『ぼくは勉強ができない』

山田詠美『ぼくは勉強ができない』(新潮社 1993)を読む。
 高校3年生の主人公時田秀美くんが、周りの友人や大人がからめとられている常識や習慣に、猪突猛進にぶつかり、そこから成長の糸口をつかんでいく。恋愛やセックス、大学受験などの困難をすべて成長の糧とする若さと経験主義にあふれたビルドゥングスロマン小説である。
 ぜひとも高校1年生の頃に読みたかった小説だなあと感じながらページを繰っていった。するとあとがきで、山田詠美さんは「私は、むしろ、この本を大人の方に読んでいただきたいと思う。私は、同時代性という言葉を信じていないからだ。時代のまっただなかにいる者に、その時代を読み取ることは難しい。叙情はつねに遅れて来た客観視の中に存在するし、自分の内なる倫理は過去の積木の隙間に潜むものではないだろうか」と付け加えていた。確かに「青春小説」は既に青春を過ぎてしまった者にこそ価値があるものかもしれない。青春の最中にいる者にとってはこれからの人生の方が小説よりも面白いものであり、小説を味わっている時間の方が勿体ないのだから。

ぼくの前に何が立ちはだかるかは、まったく予測がつかない。ぼくは、ぼくなりの価値判断の基準を作っていかなくてはならない。忙しいのだ。何と言っても、その基準に、世間一般の定義を持ち込むようなちゃちなことを、ぼくは、決してしたくないのだから。ぼくは、自分の心にこう言う。すべてに、丸をつけよ。とりあえずは、そこから始めるのだ。そこからやがて生まれて行く沢山のばつを、ぼくは、ゆっくりと選び取って行くのだ。