文藝春秋編『中田語録』(文藝春秋 1998)を読む。
昨日から引っ切りなしに、日本を代表するサッカー選手中田英寿の電撃引退がテレビで報道されていたので手に取ってみた。「孤高」とも評される中田氏には高校時代から憧れのチームも憧れの選手もいなかったそうだ。また彼自身一人の観客としてワールドカップを観戦することには何の関心もないということだ。彼はひたすらサッカーというダイナミックなゲームに隠された「解」を求めてプレイを続けた希有な選手である。彼は次のように述べる。
俺、数学とか物理が好きなんです。公式とか法則を当てはめてたった一つの答えにたどり着く。応用を繰り返してさらに合理的に最終結論を導き出す、あの感じが好きですね。サッカーって、数学的に考えるとやりやすい。局面、局面をセオリーで導き出すというふうに
彼の求めるスタイルそのものに非人間的な側面があったことは否定できないであろう。そして彼自身が自分の求める理想のサッカーについていけなかった。29歳という若さでその限界を悟ったのであろう。そして彼は高校を卒業してプロ入りしてすぐに引退後を考え次のようなコメントを残している。自分の人生哲学を実際に10年以上も持ち続けたのだ。
サッカーしか知らない人間になりたくないし、いつも好奇心を持っていたい。俺がサッカー選手として生活するの、あと何年か分からないけど、その先の人生のほうがずっと長いに決まっている。次にどんな仕事をしようか、自分にはどんなことができるのか、いろいろ考えるのって凄く楽しい。
そして、彼が練習で一番時間を割いているのが、最も地味な対面パスだという。海外へ移籍した現在は違うだろうが、細かいボールコントロールを自分の体に徹底して覚えさせるまで、基本を繰り返せという指摘は印象に残った。
派手で美しいプレーを見せようと思ったら、地味な練習を死ぬほどしないと。基本があれば、1を100にだってできるんだから。基本がない選手は、いつか消えていくでしょう。