ドン・チードル主演『ホテル・ルワンダ』(2004 南ア・英・伊)を有楽町へ観に行った。
映画館はビックカメラの入っているビルの中にあり、開演までデジカメやパソコンをひやかしながら時間を潰した。久しぶりの遠出で気分も和らいだ。
アフリカの小国ルワンダにおける大量虐殺を通して、欧米の白人による黒人蔑視や自国中心主義、また際限ない近親憎悪が繰り返される部族抗争の現実を描く。しかし、家族愛というヒューマンドラマをメインに押し出しており、紛争の原因である植民地支配の歴史や紛争を煽る武器産業の背景などはほとんど語られない。作品の作り方そのものが『シンドラーのリスト』に酷似しており、作品としてはあまり楽しめなかった。
月別アーカイブ: 2006年3月
『幼稚園では遅過ぎる』
井深大『幼稚園では遅過ぎる』(ごま書房 1991)を読む。
幼児教育に取り組み始めた井深氏の最初の著作で、1971年に刊行され、そのタイトルが彼の名言になっているほど有名な本である。刊行当時の「寝る子は育つ」式の放任教育を否定し、乳幼児に対しての積極的な話しかけや音楽、また、手を使った遊びや運動などを提唱する。そして幼児教育の第一義的な責任は母親にあると主張する。
『天才アラーキー写真ノ方法』
荒木経惟『天才アラーキー写真ノ方法』(集英社新書 2001)を読む。
写真芸術家として第一人者の荒木氏が写真の極意を語る。といっても特別な技術を伝授するわけではない。荒木氏は「写真の中心はあくまで被写体であり、カメラマンは無心にシャッターを押すだけである」と、良い写真家は被写体の美しさを引き出すことだと述べる。また、写真は現在の現実を写すものではなく、被写体の過去を写すものであり、引いては被写体の歩んできた人生の「物語」を彷彿とよみがえらせるものであると語る。
「ゆとり」教育改革迷走
本日の東京新聞朝刊に『「ゆとり」教育改革迷走』と題して、政策研究大学院大岡本薫教授へのインタビューが掲載されていた。
記事の中で、岡村氏は文科省のゆとり教育政策のぶれについて次のように断言する。文科省が教育を神秘主義のベールで覆って宗教化させてしまっているという指摘は正しいと思う。「ゆとり」「生きる」を錦の御旗にして何でもかんでもごり押ししようとする、ここ20年くらいの文科省の体質をうまく捉えている。
日本の子どもはずっと学力水準が高いっていう国際比較テストの結果があった。ところが、詰め込んでいるから高かったのかとか、減らしても維持できるとかいう分析をしないでいたから、下がった瞬間になぜ下がったか分からなくなって大あわて。たまたまその前に(ゆとり路線への)政策転換があったから、元に戻そうって。
日露戦争でなぜ勝ったのかきちんと分析しないで、実は(局地戦での勝因は)物量の問題なのに精神力で勝ったなんて言うからあんなこと(太平洋戦争の敗北)になったのと同じです。
「生きる力」とか訳わかんない。教育が宗教になっちゃってる。神秘主義のベールに覆っておきたいから、誰も反対できないスローガンで覆う。でも保護者が気にしているのは、うちの子をどうしてくれるのかということ。最低限ここまではやりますってことを言わなければ、行政として無責任でしょ。