月別アーカイブ: 2006年1月

『フリーメイソン:西欧神秘主義の変容』

吉村正和『フリーメイソン:西欧神秘主義の変容』(講談社現代新書 1989)を読む。
18世紀から19世紀のヨーロッパとアメリカにおけるフリーメイソンの創立と発展を中心に論じたフリーメイソン入門書となっている。当時のフリーメイソンの思想や加入の儀礼の説明は、ソロモン神殿やら死者の復活やら隠された象徴などの単語が出てきて、ファイナルファンタジーのゲーム攻略本か何かを読んでいるような気分になった。

フリーメイソンの普及は世界史にべったりと張り付いており、イギリス名誉革命を擁護したジョン・ロックに始まり、アメリカ独立宣言を起草したベンジャミン・フランクリンもフリーメイソンの一員であり、フランス革命の指導的原理である「自由・平等・博愛」もフリーメイソンに由来するとされている。著者も指摘している通り、フリーメイソンの思想は、特定の宗教団体ではなく、神を中心とする価値観を人間中心の価値観に「世俗化」させた西欧近代文化そのものである。系統だった組織もないという点で、東洋における道徳の規範となっている「儒教」と同種のものと捉えておいてよいだろう。

参照:日本の フリーメイソン本部のホームページ

「格差社会の『自分探し』―男が揺らぐ」「大衆社会の主役」

本日より千葉の知的障害者更生施設での現場実習の後半が始まった。残り6日間であるが、この厳寒の中、電車を乗り継いで片道2時間の道のりがきつい。誰彼構わず会えば「寒いですねえ」が挨拶になってしまう。

本日の東京新聞に「格差社会の『自分探し』―男が揺らぐ」という特集が組まれていた。
その中で、『希望格差社会』(筑摩書房)が話題の山田昌弘・東京学芸大教授の男性の「落第感情」に対する興味深いコメントが寄せられている。

お見合い結婚が盛んなころなら、だれでも結婚のチャンスがあった。女性が仕事をしてない時代なら、男は少しの努力で上に立てた。がんばれば自分にもできるという希望が持てた。でも、今は力を持った一部の人だけが「勝ち組」になる時代。その他大勢は、置いてけぼりになって、もてる男、もてない男の二極化が急速に進んでいる。

最近話題になった女性の勝ち組負け組は既婚子持ちか否かといったようにハードルが低いが、男性の勝ち組負け組の差は大きいように感じる。確かに、最近「K-1」や「PRIDE」といった格闘技や競馬やゴルフなど、一部の勝者とその他大勢の敗者の差が歴然とした優勝劣敗のはっきりしたスポーツが、特に男性に好まれるが、現在の風潮を反映しているのであろうか。

同日付けの東京新聞のコラムに、精神科医の斎藤学は「大衆社会の主役」と題して、「負け組」にエールを送っている。

自分を負けや下流に位置づけるというのはなかなか良い考えだ。少なくとも勝ちを目指して頑張るよりはいい。(中略)ところで、この大衆社会の中で力を持っているのはマイノリティーかマジョリティーか? 衣装やダンスの流行からお笑いの芸人のハヤリまで、カギを握っているのは一般大衆と呼ばれる貧乏で無責任で悪趣味な多数派ではないか。世の中は彼ら向きにできているのだから、地位・名誉・金に恵まれた人々を嫉妬したり羨望したりする必要などない。それにごく一部の勝者たちは、多数の敗者の恨みを恐れ、警戒し、敗者に媚び続けることを怠らない。敗者は勝者が提供するさまざまなサービスを楽しめばいいのだ。

斎藤氏は「勝ち負け社会」の特徴は、マスコミを通じて消費者大衆を不安に陥れ、大衆の不安からの脱出を企業なり国家が絡めとるところにあると指摘する。そうした社会の幻想を見抜けば、最初からいんちきなゲームに乗らずにすむと説く。

『シュタイナー入門』

西平直『シュタイナー入門』(講談社現代新書 1999)を読む。
シュタイナーの自由な教育理念を実践する「シュタイナー学校」は世界で700を超えるが、その思想の提唱者であるルドルフ・シュタイナー(独 1861~1925)自身は、「オカルト」のレッテル張りによって教育史の本からすらも抹殺されてしまっている。彼が創設した「自由ヴァルドルフ学校」では、ある一つの単元を4週間ぶっ続けで行なう「エポック授業」と、人間発達に沿った「八年間一貫担任制」を特徴とする。そして、全ての教科において芸術的な表現力を付けることが追求される。

シュタイナー学校といえば「自由」が売りということになっているが、この学校では教師の「権威」がとても大切にされている。それは、抑圧的な力ではなく、子どもたちが自発的に従ってゆくような魅力である。著者の西平氏は、「シュタイナー教育は、『自由への教育』であっても、子どもたちを勝手気ままにさせておくという意味での「自由な教育」ではない。子どもたちが自由な存在になってゆくためには、一度、適切な時期に、権威に従うという「逆説的な」体験を経る必要がある」と述べる。現在の「生きる力」や総合的な学習の時間を先取りしたような学校で、私も時間が許せばやってみたいカリキュラム満載である。

しかし、シュタイナー自身が考える理想的な教育は、前世からの因縁によってこの世に生を受けた「魂の教育」と定義されるものであり、霊的(精神的)な世界への陶冶と位置づけられている。その内容は、インド哲学のカルマや仏教的な輪廻転生によって世界が構成されているといった禅問答に近いチンプンカンプンなものである。著者が「その学校は歓迎されその思想は敬遠される」と評する所以である。

amlより

以下amlより転載

あけましておめでとうございます。
早稲田大学でビラを撒いていた人が逮捕されるという事件がありました。
ご興味・ご関心のある方は、抗議文に署名していただければ幸いです。すでに朝日新聞でも報道されていますが、昨年12月20日お昼頃、早稲田大学文学部キャンパス内で、ビラをまいていた人間が、突然、教職員によって拉致、警察(牛込署)を導入され、逮捕・拘留されるという事件がありました。これは、ちょっと「時代の大転換」を予兆させる事件です。さしあたり緊急に、早稲田大学当局に対する抗議文への署名を募っています。

詳しくは、下記のHPを参照の上、HP上から署名をお願いいたします。
http://wasedadetaiho.web.fc2.com/
また、このことを、さまざまな手段を駆使して、出来るだけ多くの友人・知人の方々にお伝えください。
HPへのリンク、メール、サイトへの貼り付けなど、合法的なことであれば、なんでもけっこうです。重複を厭う必要はない。

抗議文
12月20日昼ごろ、早稲田大学文学部キャンパス内において、早大再編について考え、反対する行動告知のビラをまいていた一人の人間が、突然7、8名の文学部教職員に取り囲まれて、そのまま警備員詰所に軟禁され、その後、その教員らが呼び入れた牛込警察署員によって「建造物不法侵入」の容疑で逮捕されてしまいました。
この事件について、わたしたちはたんに一大学にとどまる問題ではなく、大学総体のあり方、ひいては現在のこの社会のあり方総体にかかわる問題として、みずから深刻に受け止めるべきであると考えます。この出来事は、「言論表現の自由」を最後まで守るべき大学が、それをみずからあからさまに放棄したものであるがゆえに、わたしたちが譲ることのできない一線を、この社会が否定しつつあることを示唆しているのではないでしょうか。
大学のキャンパス内でビラをまくという言論活動を行っていた人間が突然逮捕されるという、前代未聞のこの到底許しがたい処置に対して、わたしたちは抗議の声をあげるとともに、早大当局の謝罪を求めるものです。

呼びかけ人
井土紀州(映画監督/脚本家)
木村建哉(成城大学文芸学部専任講師)
池田雄一(文芸評論家、早稲田大学非常勤講師)
糸圭(すが)秀実(近畿大学教員・元早稲田大学非常勤講師)
丸川哲史(評論家、明治大学教員)

『最新情報で選ぶ赤ちゃんの名前』

西東出版部編『最新情報で選ぶ赤ちゃんの名前』(西東社 2000)を手に取ってみた。
ワープロの変換ミスとしか思えないような珍奇な名前ばっかりでほとんど参考にならなかった。
「加夢意(かむい)」「天都王(てつお)」「陽乃出(ひので)」「星礼沙(せれさ)」(゚o゚;) (゚o゚;) (゚o゚;)