月別アーカイブ: 2005年3月

マルクス

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先週春日部東口にあるキスゲセンターという一見怪しげなペットショップでアメリカン・ショート・ヘアーの雄ネコを買ってきた。
先月まで5万円で売られていたのだが、兄弟ネコが売られてしまったというだけの理由で、一気に半額の2万5千円まで値下げされていたので、つい衝動買いをしてしまった。帰り際、早速名前を思案し、ドイツの哲学者カール・マルクスにちなんで、マルクスと名付けた。本当は「人間は考える葦である」の名言で有名な哲学者パスカルの名前を頂戴しようと思っていたのだが、呼びにくいという理由で妻に却下されてしまった。

何はともあれ、大人しい猫で、持ち帰ってすぐにトイレも寝る場所も覚えたので、手がかからなくていいなぁと思っていた。。。が、それもほんのつかの間であった。
猫というと気まぐれで、甘えたい時しか人間に近づかないと思っていたのだが、このマルクスは人間が大好きで、隙あらば人にじゃれつこうと「甘え攻撃」を仕掛けてくる。人間から決して離れようとしない子犬のような性格の持ち主のようである。

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『長期停滞』

 金子勝『長期停滞』(ちくま新書 2002)を読む。
 バブルが弾けてから10年近く、政府は「グローバルスタンダード」の名の下に、安直な国際会計基準の導入やペイオフの凍結解除を行ったり、また赤字国債による公的資金を投入してきた。しかし、信頼と保障の社会経済システムを構築しないうちに、一連の市場原理主義を導入したことで、結局は日本市場の不信感を生み、不況を長引かせてしまったと金子氏は指摘する。そして人々が安心して暮らせるセーフティネットを整えた上で、大規模な公的資金の投入という自説を展開する。

 著者はグローバルスタンダードの概要について次のように説明する。

 時間と空間の壁を超えにくい雇用や農業にグローバリズムの荒波が及んでくると、ナショナリズムの反発を惹起させる。歴史の教えるところでは、それが自由貿易体制を崩壊させる一つの引き金になってきた。いま、再びWTOの新ラウンドが始まっているが、農産物の自由化問題が一つの焦点となっている。
経済学者たちは、これらの各生産要素を無差別にマーケットという言葉で一括りにしてしまう。確かに、人間が作り出した市場という制度は、時間や空間の制約を超えようとする。だが、市場メカニズムをもってしても、自然の時間や空間を容易に超えることはできない。その軋轢が、歴史の動学を作り出す一つの大きな要因となってくる。
 事実、この間、事態は歴史の教える通りに推移してきた。グローバリゼーションの波はまず金融の自由化から始まった。その結果、国際金融市場を不安定化させてきた。それゆえ金融自由化政策は、絶えず「グローバルスタンダード」という名の規制強化を必要とさせる。つまり金融自由化と規制強化のいたちごっこに陥るのだ。

『NANNO Singles』

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最近、中学生の頃に買った南野陽子のシングル曲を集めたベスト版のCDを引っぱり出してクルマの中で聴いている。
高校に入って以来全く聴いていなかった代物だが、意外に歌詞が大人っぽくてメロディラインのきれいな曲が入っているのだ。特に「悲しみモニュメント」や「風のマドリガル」「秋のIndication」など最近のアイドルが歌わないような渋い曲が気に入っている。しかし、30過ぎたおじさんが南野陽子の歌を口ずさんでいる姿はとてもじゃないが、見られたものではない(苦)。。。

『採用の超プロが教えるできる人できない人』

 安田佳生『採用の超プロが教えるできる人できない人』(サンマーク出版 2003)を読む。
 採用コンサルティングを手がける著者が、業種を問わず、どの企業にも通用する仕事ができる人間とできない人間を採用段階で見抜くポイントを示す。実際に一番に採用したい人材が仕事が出来る転職組だが、そうした人物はなかなか労働市場に出て来ないので、仕事が出来そうな新卒を採れという指摘が印象深い。

 一芸に秀でると言えるようなレベルの人は、(目標を実現するためにその他の全てを犠牲にする)葛藤を乗り越えてきた人たちである。何よりも、「それになりたい」という気持ちを優先させてきた人たちである。多くの代償と引き換えに、またそこまでして自分がそれに打ち込む理由を考えつづけた果てに、「自分は何のためにいきているのか」という人生哲学が見えてきたとしても不思議ではない。
 モチベーションとは、人生の目標バーの高さのことであり、他人の力では変えることができない。自分の人生目標を人に高めてもらうことはできないのだ。どのくらい仕事ができるようになりたいか、どのようになりたいかというのは、結局は自分がどう生きたいかということである。

『教育基本法「改正」に抗して』

 高橋哲哉・大内裕和・三宅晶子・小森陽一編『教育基本法「改正」に抗して』(岩波ブックレット 2004)を読む。
 今国会でも可決が危惧される教育基本法改悪の動きに抗して、2003年12月23日の日比谷公会堂で行われた「教育基本法改悪反対! 全国集会」の模様を再構成したブックレットである。近年各現場で進められる管理的抑圧的な教育改革と、それに呼応した教育基本法改悪、さらに日本国憲法改悪ともリンクする一連の新自由主義的教育再編全般に対して、全国各地からの反対の声が多数まとめられている。
 いささか現状の教育の在り方が是であり、改悪される教育に反対するだけの「保守」的な論調も目立つ。目指すべき教育の理念を具現化する実践が求められる。

 京都の在日朝鮮人の高校生朴さんの訴えが印象に残る。『たくましい日本人の育成』を目指す教育改革の中で、自分を含めた家族全員の存在が教育から消されてしまったと感じる朴さんは次のように述べる。

 私は、やはりおかしいと思ったことには頷けない。たとえ存在を消されても、消えてしまうことなんてできない。そして「日本人」とは誰のことなのか。私は日本人にはなれない。そして誰も幻の日本人にはなれない。『心のノート』は言う、「我が国を愛しましょう」と。でも、私は国家を愛することなんかできない。私服で学校に行くことで、多くの先生達の私への評価を裏切った。たくさんの先生をがっかりさせた。私には朴という名前があるけれど、「在日朝鮮人」という枠に入るのは「日本人」という枠に入るのと同じくらい嫌だ。これからも、いろいろな人の私への評価を、裏切って裏切って、かっこいい大人になりたいと思う。

 また、福岡の教育基本法改悪に反対する市民の会の八尋さんは次のように述べる。

 押しつけられて苦しんでいるのが、例えば今はまだ私ではなくても、誰かの気持ちが押しつぶされるときにはいっしょに反対すること、一つひとつを見過ごさないこと、そういうことから、いつか自分が困ったときは近くにいるだれかがそばにいて手を差し伸べてくれることもあるのだということを、信じることができるようになるのではないかと思っています。
 世の中に対する漠然とした不安を、国家にすりよることでごまかすのではなく、大きなもので押しつぶしてしまうのではなくて、私は私のまわりの人たちを信じるために、失われた信頼感を取り戻すために、声をあげつづけていきたいと思います。
 大切なのは大切だと言い続けること、その心を守るためにも、私たちは、国家に心を教育されたり採点されたりすること、管理されることを拒否しなければならないと思っています。