桐朋音大教授西原稔『ピアノの誕生:楽器の向こうに「近代」が見える』(講談社 1995)を読む。
先日卒業した生徒の保護者から頂いた本である。ピアノという非常に手間ひまのかかる工業製品の発達と、流通の過程を丁寧に解説している。現在ピアノは完全な趣味の範疇にカテゴライズされるが、自動車が発明された20世紀初頭までは、中流階級以上であることを示すステイタスシンボルであった。そしてちょうど自動車と同様に、ピアノもイギリスの職人によって発明され、ドイツ人の手によって改良され、アメリカの大衆化社会に受け入れられ、そして、日本でベルトコンベアでもって組み立てられる大量規格製品として完成をみた。20世紀のモータリゼーションを牽引したフォードシステムが出来上がる50年も前に、モデルチェンジを繰り返しながら消費者に新しさと購入意欲をアピールする消費資本主義的商法が展開されていたという指摘は大変興味深い。世界史のサブテキストとして読んでみると面白いかもしれない。
イギリスには絶えざる技術革新を可能にする工業力があり、近代的な機械工学の発展がこの新しい楽器の登場を支える背景にあった。そもそも力を弦に伝える複雑な内部機構、より張りのある音を実現する張力と強度のある弦、低弦では弦にさらに別の弦を巻きつけて強度を高める技術、そうした強度に耐える鉄のフレーム、ハンマーの改良、これらのどれをとっても近代工業の発展なしに考えることはできない。されにイギリスには、工業生産された「商品」を販売できる「販路」が確立されていたのであった。(p44)
ドイツがその廉価で優秀な製品をイギリス本国はもとより、イギリスの植民地地域にまで積極的に販売して、かつてイギリスが堅持していたシェアを奪っていく過程は、戦後、日本の自動車メーカーがアメリカ市場に進出していった過程と非常によく似ている。工業力は高まったきたものの、まだ国内でピアノを大量に消費できるほどの購買力のなかったドイツでは、国外に販路を見出すことが急務とされたのである。(p73)
ピアノは近代市民社会においてもっとも富を象徴するものであるとともに、おそらく国力の象徴でもあった。それは複雑な工程をへて一つの楽器を完成させるための総合的な工業力であると同時に、そのようにして製作された製品を売る販売力である。ピアノの発展を見ていくと、その国の工業力および製品販売力の発展の段階を示すいくつかの指標のようなものがあるように思われる。(p67)