月別アーカイブ: 2004年2月

『裁かれる大学』

五十嵐良雄『裁かれる大学』(現代書館 1980)を読む。
全共闘思想を継承しつつ、教育における反権力をもって、常に理性に先立つ人間の魂の本源を発想の基礎とし、既成の教育秩序や既成の教育関係を解体しようと『反教育シリーズ』を主宰していた作者である。
立場的には『脱学校の社会』を著わしたイリッチや『学校は死んだー教育におけるオルタナティブ』を著わしたライマーに依拠しながら、大学解体論、脱学校社会のありようを問う。そしてイリッチの述べる学校思想について作者は次のように述べる。

彼のいう学校とは、人間が人間自身の進歩と発展と解放のためにこれまでの人間史のなかでつくり出してきた秩序や制度や仕組み機構や慣習といったものを人間を拘束し、自縛するものとして、根源的に捉え、「見えないカリキュラム」と呼ぶ彼の言葉に象徴されている。たとえば、学校で教えられることだけが価値あるといった知の在り方=「制度化された価値」といったような、それらを彼は、イスタブリッシュメントやインスティチューションであると呼んでいるが、インスティチューションの革命あるいはカルチュラルの革命と主張する彼の考え方は“脱”という言葉に込められる。すでに出来上がってしまって、すっかり固まってしまっているように見える制度や体制を揺るがし解体するというところに、その革命の目標があるようだ。

『小が大を呑む:埼玉独立論』

前埼玉県知事土屋義彦『小が大を呑む:埼玉独立論』(講談社 1997)を読む。
購入した途端、土屋氏本人が県知事を辞任してしまったので、そのまま本棚で埃をかぶっていたものだ。政治家が自身の政策を喧伝する以上のものではない。
東京都民の出した廃棄物の処理問題を巡って、尊敬する人物として吉田松陰を挙げている。「士の行は質実欺かざるを以て要と為し、巧詐過ちを文るを以て恥と為す。公明正大、皆是より出づ。」という言葉を紹介しているが、その尊敬する松蔭の言葉をまず自身が忠実に実践するべきであったろう。

『「勝ち組」大学ランキング:どうなる東大一人勝ち』

中井浩一『「勝ち組」大学ランキング:どうなる東大一人勝ち』(中公新書 2002)を読む。
91年の大学審議会答申による大学設置基準の大綱化以降の教養学部再編を、東大駒場の教授職員に焦点をあててつぶさに改革の過程を追ったものだ。とかく理念が先行しがちな大学改革であるが、公務員である大学教員の人事改革が一番難しく、結局は相互の教員の専門分野の妥協にしかならない実態を浮き彫りにしている。

『漢字のはなし』

阿辻哲次『漢字のはなし』(岩波ジュニア新書 2003)を読む。
甲骨文字から漢字の成り立ちまで分かりやすく説明している。しかし現代の漢字事情などは紙幅の関係か尻すぼみに終わってしまっている。その中で「卍」の字についての解説が興味深かった。

卍はインドで作られた、仏教に関することを表す記号です。もともとインドの原始宗教では太陽神ヴィシヌ神の胸にあった胸毛の形をかたどったもので、瑞兆の相とされました。これはやがて仏教に入り、菩薩の胸や手足に現れた慈悲深い心を表す吉祥と考えられました。卍をサンスクリット語ではスヴァスティカといい、中国語ではそれを「吉祥万徳」と訳しています。遼の『龍龕手鏡』に、「卍は音万、是れ如来の身に文有るなり」とあります。卍の音が「万」とされているのは、もともと表していた「吉祥万徳」の「万」に由来するもので、これが、日本でこの字を「まんじ」と読む理由です。

『ゼロからスタート! 経済学超入門』

経済セミナー編集部『ゼロからスタート! 経済学超入門』(日本評論社 2000)を読む。
大学1年生もしくは2年生を対象にし、ミクロ経済、マクロ経済、需給曲線等、マンガを用いながら楽しく紹介しようというものだ。
しかし新古典派経済学とケインズの比較を日本昔話調にアレンジしたり、計量経済学をゼミのコンパの計画になぞらえたりと変に大学生におもねようとするあまり、かえって分かりにくい説明になってしまっているのが残念だ。