月別アーカイブ: 2003年8月

『田宮模型の仕事』

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田宮俊作『田宮模型の仕事』(文春文庫 2000)を読む。
フェラーリのエンジニアをして「実物の自動車を作る術を知りたければ,最初にタミヤのキットを組み立てるのが近道さ」と言わしめるほどのディテールの細かな商品群を配し,そして小中学生の男子のほとんどを虜にしたミニ四駆の発売元で知られる田宮模型の社長による創業から現在までの一代記である。
1/12や1/35といったスケールモデルという真似の世界であるが,そこから本物すら凌駕してしまう職人気質はモノ作りの原点であろう。書道にも「楷書,行書,草書」と真似から始まって,自分の格を作っていく教えがある。

いまの子どもたちは工作のために工具を使う,といった機会がまったくといっていいほどなくなってしまいました。ナイフで鉛筆を削ることも,板に釘を打ちつけることも経験しないまま,大人になってしまうのが最近の傾向です。ところが誤解してはいけないのは,子どもたちはそういったことが嫌いではないということです。ミニ四駆の会場で目を輝かせながら,さまざまな工具を使ってキットを改造している子どもたちの姿を私は忘れることができません。工具を使って,自分の手で何かを作り上げていく,そういった機会を大人たちが奪ってきたのではないでしょうか。些細なことでも工作用の工具を使って取り組み,興味を持ってくれる子どもたちを発見したことは,ミニ四駆でメーカーが学んだいちばんの宝だと思います。
自分の手で,指で「モノ」を作るという作業を,子どものうちに経験することの重要性は21世紀になっても変わらないはずです。(中略)さまざまなハイテク,ローテクと結び合いながら楽しい模型の世界を広げていく,それが私たち模型メーカーの役目であり,世界の模型市場のリーダーシップを担うタミヤの仕事である,と私は考えます。

ミニ四駆ブームが80年代後半から90年代にかけて2度あったことを始めて知った。その中で著者は完成の達成感と改造の創造力を併せ持つミニ四駆が小中学生にとって普遍的な教育的機能を持つと判断し,次回のミニ四駆ブームに備えて開発を進めているそうだ。このような企業理念を持った会社を社会的に評価していくべきであろう。

フィリップ・グラス

東京新聞の記事より転載

アメリカの現代音楽作曲家として知られるフィリップ・グラスはダライラマの半生を描いた『クンドゥン』や,ピュリツァー賞受賞の小説を映画化した『めぐりあう時間たち』の音楽で米アカデミー作曲賞候補になるなど,近年は映画音楽作曲家としても高い評価を受けている。その彼が過去15年以上にわたり,欧米各地で生演奏上映のコンサートをおこなっている作品が,日本でも20年以上前に公開されたドキュメンタリー映画『コヤニスカッティ』とその続編『ポワカッティ』である。
アメリカ先住民族ホピの言葉である「平衡を失った生活」という意味を持つ『コヤニスカッティ』は環境破壊と先進国文明の明暗を特殊撮影でとらえた作品。一方,「自己の繁栄のために他者の生命力を消費する存在,あるいはその生活様式」という意味を持つ『ポワカッティ』は,南半球に残る多種多様な伝統文化を色彩豊かなカメラワークで収めている。
しかしグラスがこの

『潰れる大学,潰れない大学』

読売新聞大阪本社編『潰れる大学,潰れない大学』(中公新書 2002)を読む。
ここ3・4年ほどの大学改革の実際の進展と大学全入時代に向けた大学教育のあり方への提言をまとめたものだ。大学改革と一口にいっても様々思惑が絡み,さらに独立行政法人化と少子化による経営難が拍車をかけ,大学人の悩みも深いようだ。受験者獲得のために入試科目を減らしたところ,基礎的な学力が欠けた学生が増えたり,国際化に対応するため留学生枠を拡大したところ,就労目的の留学生の抜け道に使たり,就職難への対応として資格関連の学部や授業を増やさんがために人文系の学部や授業が削減されたり,夏のAO入試から3月入試まで受験生確保のスケジュールに終われて研究がままならない状況など,改革も一筋縄では行かないようだ。また「21世紀COEプログラム」など予算の重点化の中で,各大学の個性を「強制」され,た「トップ30校」などの大学序列化(役割分担)の行き着く先にどのような大学の青写真を描けるのだろうか。現在の日本の教育や経済,政治の歪みが端的に現れるという点だけは戦後一貫して変わらないようだ。

ちょうど私が大学3年生ぐらいの時に受講した「教育行政学」の授業に提出したレポートがパソコンの中にあった。当時の大学審議会答申では,臨教審の流れを受けて,大学はレジャーランドから,産業構造の変革に対応した改革を目指すべきだというまだ抽象論が目立っていた。しかしここ3年くらいで東大の先端科学技術研究センターなど大学のR&Dを特許化しライセンス販売するなどの産学連携機関まで誕生するようになった。アメリカのプリンストンやハーバードが目標なのであろうが,そこに学問としての長期的な視野は伺われない。つまり「COEプログラム」を見ても公害研究や文学,歴史などの研究は採択されていない。また現在応募を募っている,「特色ある大学教育支援プログラム」の選定基準にも「公共性(社会的使命)を備えていること 」と文科省に都合のよい恣意性が介在している。

『陰陽師』

夢枕獏『陰陽師』(文春文庫 1991)を読む。
これまた『英雄』同様,CMなどでのCGの流麗なイメージが強いが,和歌の解釈や因果応報,物の怪に関する話などが伏線となっており,『今昔物語』を現代風にアレンジしたような作品となっている。平安時代をモチーフとした作品は少ない中で,重要な古文単語も少々入っており,古典に関する動機付けの入門書として良いであろう。

『英雄(HERO)』

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チャン・イーモウ監督『英雄(HERO)』(2002 香港=中国)を春日部駅東口にあるロビンソン百貨店まで観に行った。
テレビCMを見ている限りでは『マトリックス』ばりのCGが目を見張るが,内容的には極めて古典的な人間感情がテーマであった。天下統一に邁進する巨大国家「秦」に翻弄される小国「趙」に住む剣士の話である。秦王と刺客無名との間に交わされる物語は二転三転していく。その中で秦による天下統一を歴史的に正当な流れと見るのか,否かを巡って,男女の恋愛感情が揺れる。また,その中でたった一本の剣によってまさに歴史が動いていくダイナミズムと,いわばそうした歴史の大河の被害者ともなる秦王の孤独が明かになっていく。映像よりもその内容のスケールの大きさに脱帽した。中国映画恐るべしといった感だ。