日別アーカイブ: 2001年1月5日

「地方の時代」

東京新聞(2001.01.04/05)に田中康夫長野県知事と福田明夫栃木県知事、北川正恭三重県知事の「地方の時代」と称した紙上座談会を読んだ。
その中で田中康夫が提唱する「公共事業から造林業へのシフト」という分かりやすい政策が気に入った。「しなやかな県政」のスローガンにはがっくりきたが、「樹木を売ってナンボの営林という概念ではなく、損して得する造林への発想の転換に、公共事業の在り方を問いただす一つのヒントがある」とし「『公共事業』という言葉を、そこに従事する人々も胸を張って語れるようにせねばならない」という田中氏の発言は非常に分かりやすい。
今問われている社会民主主義の目指す方向を分かりやすく提示している。その実効がどうであれ、「○○反対!」「××粉砕!」のスローガンをただ繰り返すだけのオウムではない言葉を見つけていこう。

「県知事」
おれは小さな包とこうもり傘とを持つて乗りこんだ
そのとき見たこともないたくさんの人間が歩廊にいた
汽車が動きだすとそれらがいつせいにお辞儀をした
官吏や商人や芸者たち
その視線の落ち着くところをたどると
一人の五十男が家族に囲まれて立つていた。
あれが誰だときくと
あれは転任する県知事だとわかつた
そしておれは県知事というものを理解した
(中野重治)

『お見合いの達人』

真島久美子『お見合いの達人』(講談社)を読んだ。
結婚という制度を「前近代的な家族制度」と社会学的に位置づけるのは簡単である。婚姻によって女性は姓氏を変更させられ、「良妻賢母」の生き方を強いられ、男は仕事、女は家庭」という性的役割分担が強要させられるという論点だ。現在の家族制度が家父長制のもとにあり、総力戦体制下に鼓舞された「兵士を送る銃後の家族」の延長上にあるというものだ。

「婚約者を戦争で失ったTさんも『独身でいるために欠陥人間のようにみられたり、差別されたりしたことが何より辛かった』と語っていますが、わが国には『個人の自由』を尊重する本来の意味での個人主義がまだ未成熟です。そのため「みんなが結婚するからわたしも』と世間の習俗に追従する傾向や、「女性の幸せは家庭に入ること」といわれて無批判にうけいれる状況があります。そのうえ女子をそのように教育しようとする長年の慣行が残っています。一方、男性のほうにも、衣食住や生活の便宜のために結婚するような態度があります」和田典子『女生徒の進路』(岩波ジュニア新書)

真島さんはそのような狭い意味でのウーマンリブ的意見に対して「しかし、自然界の中で、つがいにならないことを選ぶ動物が存在するだろうか。人間だって生き物なのだ。自然のサイクルからはずれた生き方ができるとは、思えない。物や情報が、あまりにも豊かになりすぎてしまった今、私たちはもう一度原点に立ち返って考えてみる必要があるのではないか。」と保守的意見をしゃあしゃあと述べている。しかし原点にまで帰る必要なはいが、10代・20代の若者にも分かりやすい言葉で、結婚制度や改姓、差別の問題を伝えていく必要がある。

上記の「分かりやすい言葉」というのが私の現在の「マイブーム」(古いなあ)である。

『悪魔が来たりて笛を吹く』

徒然なるままに日暮らし記簿戸に向かひて

昨日5時間かけて一気に横溝正史『悪魔が来たりて笛を吹く』(角川文庫)を読んだ。
血縁関係が複雑な物語設定で、その関係を頭の中で暗唱しながら読んでいったのでかなり疲れた。坂口安吾の『不連続殺人事件』もそうであったが、戦争でばらばらになった家族・縁者をめぐる1950年代の小説というのは今読み返すと大変面白い。かつては地縁・血縁関係が「現実」であったのだが、核家族が徹底化した現在ではそれが「虚構」になってしまう。