読書」カテゴリーアーカイブ

『OLたちの〈レジスタンス〉』

小笠原祐子『OLたちの〈レジスタンス〉』(中公新書)を読む。
多くの会社において一般職の女性が「女の子」と総称され、総合職男性よりも一段と低い地位に置かれる現状を、OL女性の総スカン攻撃やバレンタインデーから分析した論文で興味深かった。

一般職のOLは会社の組織の中で出世の道を断たれ、大きなミスを犯してしまう以外に賃金格差も生じない存在である。そのような個のありようが認められない状況下では、「社内妻」という役割しか与えらず、必然的に「寿退社」していくことだけが「出世」とならざるを得ず、「女の敵は女」という構図が恣意的に作られてしまう。そして社内での仕事の不出来に差がつかない以上、上下関係も曖昧で、一般職OL間に摩擦が生じやすい。そうした中では、総合職男性や管理職のおじさんのゴシップは、だれ一人傷つかないOLの仲をとりもつ格好の潤滑油となってしまうのだ。

またバレンタインデーがチョコレート会社の策略によるところは広く知られたところであるが、特殊会社内のバレンタインデーの分析も面白かった。バレンタインのチョコは一般的には好きな人にあげるという愛情表現と理解できるが、義理チョコという習慣が徹底された会社組織においては、あげる人と、あげない人を明確化する示唆性を有するようになる。また同じあげるにしても高いチョコをあげるのか、安いチョコをあげるのかで、男性を序列化する記号となる。男性側からは表面上、愛情というファクターを有するため、もらえなかったとしても抗議の声を上げることができない。こうしたバレンタインデーのチョコを「弱者の武器」と分析する作者の視点に賛同する点も多かった。

『アラブのゆくえ』

岡倉徹志『アラブのゆくえ』(岩波ジュニア新書)を読む。
高校の世界史の教科書のような内容である。オスマントルコの解体と列強の中東分割などの復習をしながら、やはり今秋のNYのテロは「イスラムVSキリスト」という安易な文明の衝突として見るのではなく、帝国主義・グローバリズムに対する歴史的な警鐘として捉えなくては、今後の歴史的世界観を誤るなとつくづく感じた。
東京新聞のコラム(2001年10月1日)で梅原猛は次のように述べている。

アメリカ国民は超大国の威信を傷つけられたという怒りにわれを失って、しきりに報復をと叫んでいるが、二十世紀最大の呪力をもった思想家マルクスやアラーの神の怨霊は、そのような武力報復によって容易に鎮められるものではあるまい。大国のおごりとしか思えない最近のアメリカの政策を深く反省し、粘り強く鎮めることこそ、世界が核戦争という無間地獄に陥ることを避ける大国アメリカのとるべき道である。

『少女マンガ家ぐらし』

北原菜里子『少女マンガ家ぐらし』(岩波ジュニア新書)を読む。
一つの作品が完成するまでの作者のどたばた劇が分かりやすく展開されていた。この北原さんは80年代半ばに少女誌「りぼん」でデビューしたそうだが、当時集英社が発行する「リボン」と「ジャンプ」の二大週刊漫画誌には様々なマンガ家が名を連ねていた。現在の「80年代リバイバルブーム」の牽引役となっている。

そういえば当時の「リボン」で連載していた岡田あ〜みんの『お父さんは心配症』は印象に残る作品だった。少女漫画というキラキラ目の恋愛ものというカテゴリーから完全に逸脱していた。

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『ザ・有名私立』

寺田隆生『ザ・有名私立』(三一書房)を読む。
題名からすると、受験案内のマニュアルのような雰囲気だが、さすが(?)というべきか、三一書房だけに日本における私学教育全般への批判、公立教育への疑問がベースになっている。そして「ウパニシャッド」哲学の「輪廻転生」の教えから、子供は親の付属品ではなく、一人一人の人間が「梵我一如」を希求する魂を宿しているものであり、それゆえに「幸福である自分」を探すことが大切だと述べるのだ。その点の見解の一部を引用したい。

「情けはひとのためならず」という。(中略)ひとに情けをかけておけば、それがやがて、めぐりあって自分にもどってくる。情けをかけるのは、ひとのためではなく、じぶんのためなのだ、という意味である。だがこれでは、情けをかけるのはそのときはいやいやながら、いつか自分にもどってくる自分への利益を期待してがまんしてそうしようという、いかにも下心が露骨であろう。私はむしろ、一歩も二歩も踏み込んで、情けをかけるそのこと自体が波紋をひろげることだと解釈したい。情けはかけてあげるのではなくて、かけさせていただくのである。それを波紋を起こす石の形や種類と組み合わせれば、個性の発見と自分らしさへのこだわりが、いかにも大切なものかがわかる。

『蒼ざめた馬を見よ』

五木寛之『蒼ざめた馬を見よ』(文春文庫)を十年ぶりに読み返す。
冷戦時代の60年代の作品でありいささか時代状況が古いが、正直面白かった。高校の時分にどのような感想をもっていたのか忘れてしまったが、全共闘運動華やかりし頃、バリケードの中で学生に支持された作家として五木寛之と高橋和己の名前が取り上げられるが、デビュー当時の五木氏の作品には確かにその息吹きを感じる。しかし現在の五木氏の作品から往時の迫力が消えてしまった点については様々な時代の分析待たれるであろう。