辰巳渚『捨てる!技術』(宝島社新書)を読了。
つい身に覚えのあることが書かれており笑ってしまうことが多かった。この「捨てる技術」は捨てるための技術を紹介しているのだが、その前提として物をため込んでしまう人間の習性に着目している。例えば明らかに無駄なお蕎麦セットなどがある時、我々は後で必要になるかもしれない、お客さん用に使うかもしれない、結婚したら娘が使うかもしれないと判断する時期を先へ先へと延ばしてしまう。そうして捨てることの「痛み」を味わうことがないために、また無駄使いをしてしまう。そうした捨てることのつらさを経験することでシンプルな生活を目指そうというのがこの本の主題だ。是非一読をお薦めします。
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『お見合いの達人』
真島久美子『お見合いの達人』(講談社)を読んだ。
結婚という制度を「前近代的な家族制度」と社会学的に位置づけるのは簡単である。婚姻によって女性は姓氏を変更させられ、「良妻賢母」の生き方を強いられ、男は仕事、女は家庭」という性的役割分担が強要させられるという論点だ。現在の家族制度が家父長制のもとにあり、総力戦体制下に鼓舞された「兵士を送る銃後の家族」の延長上にあるというものだ。
「婚約者を戦争で失ったTさんも『独身でいるために欠陥人間のようにみられたり、差別されたりしたことが何より辛かった』と語っていますが、わが国には『個人の自由』を尊重する本来の意味での個人主義がまだ未成熟です。そのため「みんなが結婚するからわたしも』と世間の習俗に追従する傾向や、「女性の幸せは家庭に入ること」といわれて無批判にうけいれる状況があります。そのうえ女子をそのように教育しようとする長年の慣行が残っています。一方、男性のほうにも、衣食住や生活の便宜のために結婚するような態度があります」和田典子『女生徒の進路』(岩波ジュニア新書)
真島さんはそのような狭い意味でのウーマンリブ的意見に対して「しかし、自然界の中で、つがいにならないことを選ぶ動物が存在するだろうか。人間だって生き物なのだ。自然のサイクルからはずれた生き方ができるとは、思えない。物や情報が、あまりにも豊かになりすぎてしまった今、私たちはもう一度原点に立ち返って考えてみる必要があるのではないか。」と保守的意見をしゃあしゃあと述べている。しかし原点にまで帰る必要なはいが、10代・20代の若者にも分かりやすい言葉で、結婚制度や改姓、差別の問題を伝えていく必要がある。
上記の「分かりやすい言葉」というのが私の現在の「マイブーム」(古いなあ)である。
『悪魔が来たりて笛を吹く』
徒然なるままに日暮らし記簿戸に向かひて
昨日5時間かけて一気に横溝正史『悪魔が来たりて笛を吹く』(角川文庫)を読んだ。
血縁関係が複雑な物語設定で、その関係を頭の中で暗唱しながら読んでいったのでかなり疲れた。坂口安吾の『不連続殺人事件』もそうであったが、戦争でばらばらになった家族・縁者をめぐる1950年代の小説というのは今読み返すと大変面白い。かつては地縁・血縁関係が「現実」であったのだが、核家族が徹底化した現在ではそれが「虚構」になってしまう。
正月に考える
2000年12月27日付けの東京新聞夕刊の「文学回顧2000」を読んだ。
その中で文芸評論家三浦雅士の意見が面白かった。三浦氏は二十世紀の日本文学における大学の問題を指摘している。
夏目漱石から二十世紀文学が始まるのだが、彼の『坊ちゃん』も『三四郎』も『それから』も旧制高校、帝国大学が大きなコア(核)になっている。当時の学生には日本の知的なムーブメントに対し責任を負うという自覚があって、それらを引き受ける形で文学をやるんだということを漱石が最初にはっきりと示した。以後、白樺派や新思潮へと、帝大的なメンタリティーー倫理感のようなものが継承され、日本文学の重要な部分をつくっていったと思う。その主流からの脱落が私小説へ、ラディカリズムが左翼へ、と分かれていったわけです。
全集で田山花袋の扱いが縮小され漱石が拡大されて。極端にいうとそれが日本文学の二十世紀。結局、大学を卒業した人たちの身の振り方。自分がどこにいるかを大学からの距離ではかっていた。大江健三郎、高橋和巳はもちろん、三島由紀夫や石原慎太郎もそうだった。
確かに私自身三浦氏の指摘に納得できる面も多い。昨夏『坊ちゃん』を読み返したが、非常に新鮮な感動を覚えた。また今壷井栄の『二十四の瞳』を読んでいるが、その作品に出てくる大学出たばかりの大石先生のとまどいと驚きに共感を感じながら読んでいる。私の大好きな小説に五木寛之の『白夜草子』がある。『白夜草子』は大学の講師である「私」が、大学紛争の時「全共闘」側に立って孤軍奮闘するが、次第に闘争が激烈になるにしたがって、学生の戦列から浮き上がって、ついにバカ扱いされ、体制側に戻れぬまま、退職し、ルンペン生活を彷徨するにいたった作品である。この小説の中で「私」と女子学生との会話に次のくだりがある。
「あなたはいつから出来なくなったのよ」
「はっきりしないが、やはり大学でごたごたが始まった頃からだろう」
「じゃあ、革命が成立するまであなたの不能は治らないわけね」
「政治的インポかな」
「性的なものは、深く政治にかかわっていると思うの。あなたがゆうべあたしとできなかったのは、あたなが革命運動に対するコンプレックスからだと思うの」
五木寛之の初期作品は政治と文学にこだわった作品が多かったが、この『白夜草子』を送り出した後、「休筆宣言」をし、それ以降、政治との緊張関係を描いた作品は見あたらない。この『白夜草子』の「あとがき」に五木氏は次のように述べている。
この物語を文芸春秋に連載した年(1971年)は、いろんな意味で私の生活が大きなターニング・ポイントにさしかかっていた時期だった。三十歳から四十歳に移ってゆくことは、一人の人間の内面にある微妙な変化が生じることでもある。それと同時に、戦後日本というやつが決定的に方向を変えたという意識が、私の心をいくぶん暗くしていたことも事実である。歴史家は後で何を言うかわからないけれども、その年、目に見えない潮の流れが音もなく逆流しはじめる直前の、その一瞬の停止状態が私には確に見えたのだ。
確かにこの五木氏の指摘はかなりの的を得ている。上記の文学における大学との距離について三浦氏は、70年代以降大学が大衆化し大学における「教養」が崩壊したために村上龍『限りなく透明に近いブルー』や三田誠広『僕って何』、島田雅彦『優しい左翼のための嬉遊曲』が現われてきたと述べている。70年以降の大学におけるアカデミズムの解体については異論があるが、それ以降の文学に大きな変容が現われてきたという三浦氏の指摘は、五木氏の「あとがき」にきわめて近い時代認識がある。
フランスのアンドレ・ジイドは「芸術は、拘束に生まれ、闘争に生き、自由(な表現)を手にして死ぬのだ」と言ったが、この芸術に対する拘束や闘争が無くなってしまったのが、70年代以降であった。すなわち芸術を拘束する「政治」を文学自体が扱わなくなったために、文学自体が力を失ったのだ。そのために現在の文学は「虚構」に逃げざるを得なくなったのだ。まとめると二十一世紀文学を語る上で我々が着目していかねばならない作家はやはり中野重治ではないのか。1930年代に中野が横光利一や川端康成を批判したその論拠をもう一度分析する必要があると考える。
『長崎殺人事件』
内田康夫『長崎殺人事件』(角川書店 1998)を読んだ。
ルポライター浅見光彦が活躍する初期の作品であるが、単なる推理小説ではなかった。先日書いたが、水戸黄門よろしく印籠的な権威をもつ刑事局長である兄の後光の元に活躍する浅見は勧善懲悪の紋切り型を好む日本人のイメージするヒーロー像にフィットするのであろう。