益田ミリ『47都道府県 女ひとりで行ってみよう』(幻冬社文庫 2011)を読む。
月に1度のペースの軽〜いノリで47都道府県の観光地を回るという企画である。行程そのものよりも、一人旅をしているちょっと自意識過剰な心模様が綴られているので、その土地の風景も名産もほとんど頭に入って来なかった。でもイラストが可愛かった。
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『「環境」と「地域」のパラドックス』
昨日の東京新聞夕刊に、進学を機に東京へ転入する若者の増加を抑え、東京一極集中の是正を目指すために、東京23区の大学定員増を2018年から10年間原則として認めないとの閣議決定がなされたとの記事が掲載されていた。また、大学教育を所管する林芳正文部科学相が記者会見で「地方の多くの人が東京に転入している現状があり、魅力ある地方大学の振興と併せて東京二十三区の定員抑制に取り組むことが必要だ」と述べ、地域経済を支える産業の育成を狙いとして地方大学への交付金を創設する新法案も決定されている。
本棚の整理のために、雑誌「発言者」(西部邁事務所 1998年1月号)をパラパラと読んでいたところ、絓秀実氏の郊外大学批判の論考が目についた。上記の記事によると、地方大学に学生を呼びこみ、補助金による地域の活性化を目指すとのことだが、絵に描いた餅に過ぎないのではないか。20年前の論であるが、絓氏はそもそも日本には欧米のような大学町のようなエリアは存在せず、休日にはガードマンのチェックなしにキャンパスにも入れず、スクールバスがないと通うことすら難しい郊外の大学は地域と共存できないと断じる。
問題なのは、(私立大学が)郊外へ移ったことを合理化するために、多くの大学が「自然」イデオロギーを振りかざし始めることにある。われわれのキャンパスは美しい「自然」に囲まれたすばらしい環境にあるといったコンセプトがそれであり、露骨にそう謳わずとも、近年の新設学部が−「情報」や「国際」とともに−「環境」や「地域」といった名称を冠していることは、そのあらわれと言えよう。しかし、すでに述べたところからも知られるように、「地域」の「環境」と概して調和しないのが、郊外・地方の大学なのだ。日本に大学町を作るのが不可能なら、もう少し、「地域」の「環境」との共存を目指す試みがなされてしかるべきだろう。
(中略) 近年、多くの−主に二流、三流の−大学は、地域とのコミュニケーションと新入生への宣伝を兼ねて、「公開講座」なるものを頻繁に行なっている多くは、その大学に所属する教員が講演することになっている。そのプログラムが電車の中の中吊り等で見るにつけ思うのは、これも概してということだが、そのミエミエの場当たり主義と余りの魅力のなさである。(中略)多少戯画化して言えば、「地域コミュニケーションと地域環境問題における『常民』の生き方」といった、一見もっともらしい陳腐な演題を掲げているばかりなのである。当たり前のことだが、デパートや新聞社系カルチャー・センターが催す公開講座の方がはるかにブリリアントだし、実際−それなりに−成功している。自治体が主催する公開講座さえ、これほどひどくはあるまいというのが、郊外私立大学による公開講座の概ねの水準と言って良い。
この最もプリミティブなレヴェルからも知られるように、日本における大学と地域との関係は、ほとんど救いようのないところにとどまっている。そのことは、冒頭に触れたごとき、休日には後者にロックアウトをほどこして、キャンパスにはひとっこ一人いない、郊外新設私大のあり様が端的に象徴するところであろう。「地域」や「環境」といったネーミングを冠して延命を図っている大学は、まさに、地域と環境のなかで実質的に沈没しようとしているのではあるまいか。少なくとも、かなりの大学がそうであることは疑う余地がないように思われる。
政府が進める地方大学振興法案が、絓氏が述べる「沈没していく大学」の束の間の延命策になってしまわないことを祈るばかりである。
『スコット親子、日本を駆ける』
チャールズ・R・スコット『スコット親子、日本を駆ける:父と息子の自転車縦断4000キロ』(紀伊國屋書店 2015)を一気に読む。
ニューヨークに在住し、インテルに勤める著者が、8歳の息子のショウと北海道・宗谷岬から鹿児島・佐多岬まで9週間かけて自転車で旅する冒険日記である。大人用のロードバイクと子供用の自転車が連結されたトレーラーサイクルという自転車で、北海道の風吹きすさぶ中や日本アルプスを越えていく苦労が綴られている。
訳出の問題もあるのかもしれないが、父親の著者にいまいち感情移入が出来ず、旅を一緒に楽しむことができなかった。しかし、丸2ヶ月で日本最北端から九州最南端まで観光地や世界遺産を繋ぎながらも自転車で縦断できるルート設定には感心した。白川郷や高野山まで30数キロの荷物を積みながら走り抜ける著者の体力には脱帽だった。
『自転車ターボブック〈2〉』
ザ・ウインド『自転車ターボブック〈2〉:オーダー車まるごと実践講座』(ナツメ社 1988)を読む。
30年前の本で、3分の1ほどがパーツのカタログとなっており、カンパニョーロのトゥークリップ付きペダルやサンプレクッスのディレイラー、三信技研のハブなど、今はなきメーカーや消えてしまったパーツが数多く紹介されている。
スポルティーフとランドナー、キャンピング、パスハンティングなどの車種の違いが理解できた。
「戦後を読む」
学生時代に買った月刊誌「発言者」(西部邁事務所 2007年12月号)を本棚の奥の奥から引っ張り出してみた。当時右翼の考え方を学ぼうと3~4ヶ月だけ購読したものの一冊である。
本書の巻頭特集である「歴史教科書、安保条約、憲法」をテーマとしたシンポジウムの基調講演を西部邁氏が担当している。その中で、当時の歴史教科書の運動を担う人々の中に「反左翼」の人々が混じっており、アメリカによって方向付けられた教科書を無批判で受け入れていることに対する警句を発している。また、アメリカもロシアも過去の歴史を意図的に分断してきて大国を作り上げてきたが、そうした過去との分断は国家レベルだけでなく個人レベルでもアイデンティティの喪失につながりかねず、ロシアやアメリカの傘下に嬉々として加わってきた戦後に日本にあり方に対して伊、保守の立場から強固に批判を加えている。
かなり長くなるが、一部を引用してみたい。
話をさらに進め、日米安保条約のことでありますが、これはアメリカの軍事的な傘の下に戦後日本が半世紀に及んで、庇護されてきたということを意味する。自分たちの国を自分たちの力でいかに守るかということに関して、他の古今東西どこにも見られないような規模において、日本はサボタージュしてきた。
(中略)保保連合について
私が幾分啞然としてしまうのは、アメリカが提示せんとしている防衛方針、軍事方針に基本的に協力するという構えを示すのが、日本においては保守というふうに言われているということについてです。アメリカと共同歩調するかたちで台湾、中国、あるいは沖縄を巡る問題を処理していくというのが日本においてはコンサーバティブ、保守というふうに言われているらしい。これは言葉使いにおける、そして思想における、はたまた国家観や歴史観にも及ぶであろう、大いなる歪みだとしか思いようがない。
政治においてであれ、文化においてであれ、一体何をコンサーブ、保ち守るのであるか。それは、その国の歴史の中から生み出される国柄を何とか確認することです。この国柄の解釈論についての議論を大事にするというのが保守の第一の構えである。
そして、国柄というものに関して、国民のおおよその同意がとりつけられたのならば、その国柄に基づいて、その国の国益をどういう方向に見定めるか、それが保守の立場だということになる。つまり、国家主義でも民族主義でもなくて、ごく冷静な意味において、その国の歴史の秩序なり良識なりに基づいて国のあり方、そして国民生活のあり方を感じ、考え、論じるのが保守の姿勢である。先ほどの話に戻れば、アメリカという日本に決定的に影響を与えた国と歩調を合わせるのが保守であるなどというのは、まことに歪んだ、情けない保守の定義である。一億総保守化の体制になったのだというふうに言われながら、日本という国の国柄と国益というものにきちんとつなげて保守を論じるという態度が希薄になっている。そういう堕落した思想状況になっている。
たとえば、李登輝総統をはじめとして、台湾の人々が協調しておりますが、5年後ぐらいには、台湾海峡において大変危ない事態が発生すると見込まれている。台湾の国柄と国益のことを心底心配しているのはいわゆる本省人の人々であり、そして本省人としては、日本という隣の国がどういう協力体制を敷こうとしてくれているのかということについて、当然ながら大きな関心がある。また日本という国に対して共感を抱いている台湾人もたくさんいる。
ところが日本からはほとんどノーメッセージである。もちろん、これについて政治的、軍事的に厄介な事情があるということを私は知らぬわけではない。
台湾の本省人たちが必死になって日本に協力を求めているから、こちらも応えなければいけないなどということではないけれども、問題は日本側に台湾の要求なり希望なりを感じる力すらがほとんどなくなっているということです。
今の日本に本当の意味での指導者がいるかどうかは知りませんが、とりあえず指導的な層にいる人々についていうと、彼らは台湾や中国を巡る軍事、政治情勢に関する思考力や判断力を失っている。それが現状だといわざるを得ない。
今の日本において、保守勢力というふうに言われている人々の幹部クラスにあって、自分たちが青年であった時代に雰囲気として流れていたものの感じ方、考え方が彼らの脳髄の心棒にか奥底にか知りませんが、言わば固着しているのではないか。これは政治にかぎりません。経済団体の長でもかまわないし大学の学長さんでも構わないのだけれども、そういう立場にようやく戦後世代がつき始めている。その人たちが、何らかの重大な局面において、自分たちがたとえば青年時代に習い覚えた、あるいは青年時代に染め上げられた観念の枠組みなり感情の仕組みを応用して言動している。
その枠組みは、一言でいえば、進歩主義的なものです。事が進歩主義だとなると、アメリカという問題がまたしても浮上してこざるをえない。アメリカと旧ソ連の中のロシア(旧ロシア)は表面上は冷たい戦争の中で激しく敵対しておりましたが、国家の成り立ちの本質論といたしましてはそれほど異なった国なのであろうか。アメリカと旧ロシアは言わば伯仲の間柄なのです。
伯仲の「伯」というのは兄のほうであり、「仲」のほうは弟のほうである。伯仲というのは兄と弟が喧嘩をやってなかなか止めないという状況のことです。アメリカと旧ロシアというのは、喧嘩はしていたけれども実は兄弟であったのだと考えるのが、おそらくは真っ当なアメリカ論でありロシア論なのだというふうに考えられる。
両方の文明ともイギリスを始めとする西ヨーロッパの近代の中から両極端に分泌してきた特別な国なのだけれども、両方に共通なのは、歴史への軽視です。ロシアの場合、革命というかたちで歴史を破壊した上に、新しい巨大な実験として社会主義というものをつくり上げようとした。
アメリカのほうは、ヨーロッパから出てきた重荷ピューリタン系統の人々が、アメリカインディアンをあっさりと片付け、その新大陸に、歴史不在の下に巨大な実験国家としてのユナイテッド・ステーツ・オブ・アメリカをつくろうとした。私が強調したいのは、アメリカも旧ロシアも社会的実験主義というものを敢行した国なのだということです。社会的実験主義とは何かといったら、歴史とのつながりを破壊したり足蹴にしたり軽蔑したりした上で、進歩主義に基づいて国家を設計することです。
アメリカの個人主義対旧ロシアの全体主義あるいはアメリカの競争主義対旧ロシアの計画主義というかたちで対決しているように見えたけれども、その根っこを探ると通底している。アメリカは個人主義なり競争主義において巨大な実験国家をつくろうとした。ロシアのほうは官僚主義なり計画主義なりでもって、また巨大な実験国家をつくろうとした。つまり歴史から切断されたところで、巨大な社会的実験として国家をつくろうとしたという意味において、両者は共通しているのだ。そして保守にとって最も警戒しなければならないのは、この社会主義的実験なのです。日本の戦後というのは実に情けない半世紀間だった。知識人の動向を見れば一目瞭然なのでありますが、1960年代の半ば頃までは知識人の圧倒的多数が、ソビエト、ロシアの方向にどんどん傾いていく。ところが、ソ連は収容所群島なのだという情報が少しずつ入ってくるあたりから、社会主義は理想であることをやめた。もっと冷静に現実主義でもって対応しなければいけないのだというふうに知識人が言いはじめた。学者、ジャーナリスト、評論家だけではなくて、たとえばビジネスエコノミストといったような知識人が70年代から大量発生してくる。仮にそれを、社会主義的理想主義に対して、自由主義的現実主義の知識人というふうに言えば、その種の知識人たちは、おおまかに眺めたときアメリカ的なものの考え方を受け入れる、アメリカに好意的である。
戦後日本人は、前半は、ロシア型の理想主義を多かれ少なかれ受け入れ、それを受け入れるところから、たとえば平和主義のようなものをどんどん膨らましてきた。しかしその後半期においては、日本の知識人に見られるごとく、戦後日本人はアメリカ型にものに露骨に近づいていく。しかしながら、私の解釈によれば旧ロシア型とアメリカ型というのは表面上対決しているようだけれども、深いレベルまで降り立てば、ソーシャル・エクスペリメンタリズム、社会的実験という意味において大同小異の関係なのだ。そして両方とも、歴史というものを軽んじる点においては、とても保守的であるというふうに言いがたい国なのだ。
そういうことをやっておきながら、この世紀末において、日本人は一億総保守化したとか、あるいはその政治が総保守体制になったというふうに言われている。保守という言葉を50年間にわたって軽んじてきたにもかかわらず、今現在に至って、ほとんど保守の言葉しかないといったふうな状態になっている。これぐらい倒錯した思想状況、言論状況はなかろうにと言いたくなる。

