今日の東京新聞朝刊に、「小泉チルドレン」の一人である稲田朋美自民党衆院議員のインタビューが載っていた。今の時代にこんなごりごりな右翼議員がいたのかと開いた口が塞がらなかった。渡辺昇一を崇拝し、明治維新の成功は天皇親政にあると考え、日本が守るべき伝統や文化や道徳教育の在り方などを研究する「伝統と創造の会」を創設したという。まさに女版西村真吾のような華々しい経歴の持ち主である。
彼女は特に靖国問題に関心があるようで、小泉総理の参拝に対し「一国民として感謝しています」と述べた上で、「ポケットからのさい銭チャリーン、の参拝はいかがなものかな。昇殿しきちんと参拝してほしかった」と述べる。さらに、「実は国民の道徳心の低下は靖国問題に集約されている。どんな歴史観も自由だし侵略戦争の批判もあっていい。でも、国を守るために突撃した先人に感謝や敬意を表すことができない、(それを)教えられないのは道徳の退廃につながると思う」と述べ、教育基本法の改「正」を主張する。
彼女自身の危険性もさることながら、そんな彼女を衆院議員として信任してしまう今の国民の風潮が怖い。
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「ゆとり」教育改革迷走
本日の東京新聞朝刊に『「ゆとり」教育改革迷走』と題して、政策研究大学院大岡本薫教授へのインタビューが掲載されていた。
記事の中で、岡村氏は文科省のゆとり教育政策のぶれについて次のように断言する。文科省が教育を神秘主義のベールで覆って宗教化させてしまっているという指摘は正しいと思う。「ゆとり」「生きる」を錦の御旗にして何でもかんでもごり押ししようとする、ここ20年くらいの文科省の体質をうまく捉えている。
日本の子どもはずっと学力水準が高いっていう国際比較テストの結果があった。ところが、詰め込んでいるから高かったのかとか、減らしても維持できるとかいう分析をしないでいたから、下がった瞬間になぜ下がったか分からなくなって大あわて。たまたまその前に(ゆとり路線への)政策転換があったから、元に戻そうって。
日露戦争でなぜ勝ったのかきちんと分析しないで、実は(局地戦での勝因は)物量の問題なのに精神力で勝ったなんて言うからあんなこと(太平洋戦争の敗北)になったのと同じです。
「生きる力」とか訳わかんない。教育が宗教になっちゃってる。神秘主義のベールに覆っておきたいから、誰も反対できないスローガンで覆う。でも保護者が気にしているのは、うちの子をどうしてくれるのかということ。最低限ここまではやりますってことを言わなければ、行政として無責任でしょ。
鳥取大学付属養護学校の専攻科開設
今日の東京新聞夕刊に、鳥取大学付属養護学校の専攻科開設の報道が載っていた。
知的障害や発達障害のある人が社会生活に適応し、自立して生活する力を養うのが目的で、国公立では全国初ということだ。記事によると、専攻科は二年間で、家事や家計の管理などを教え、働く際に役立つようなホームヘルパー二級や自動車運転免許などの資格取得を支援する。また、在学中に成人する学生のため、年金の管理や参政権の行使、福祉事務所の公的機関の利用方法を教え、鳥取大の学生との交流や共同学習も進めるという。ホームページを見ると、募集は3人だけで、まだまだ試験的な段階のようだ。とかく教育と福祉の連携体制の不備が指摘されているが、このような取り組みを皮切りに、真に「開かれた学校」のモデルが広く普及することを望みたい。国立大学付属学校にありがちな内輪でこぢんまりまとまる悪弊だけは広まってほしくないものである。
東京新聞社説
昨年来の懸念であった現場実習が昨日でやっと終了した。いろいろと反省の多い実習であったが、何事もなく無事に終えることができた。自分が勉強したかったことに思う存分取り組むことができる時間がとれるのは、苦労も多いが幸せなことである。家族と職場の人たちに感謝したい。
本日の東京新聞の 社説は全国紙にしては気持ち良いくらい歯切れがよい。小泉総理の靖国参拝を巡る変節とそのおそまつなロジックに痛烈な批判を加えている。全文転載してみたい。
小泉氏と靖国 その居直りがいけないこれが国の最高責任者の発すべき言葉だろうか。「靖国参拝自体がいけないのか、中国、韓国がいけないからいけないのか、はっきりしてほしい」と、小泉首相は言った。その居直りがいけない。外遊先のイスタンブールでも首相は靖国にご執心だったようだ。年頭会見と同じ発言を繰り返した。おれの勝手だ、余計な口を挟むな、と言わんばかりに。まるで批判されるのを楽しむように。
物事を単純化して異論を退けるような、発展性のない議論につきあうつもりはさらさらないが、理解に苦しむ点はただしておきたい。首相は自民党総裁選の争点に関して「靖国の問題を自分から提起したことはない。参拝しろとか、してはいかんとか、誰にも言うつもりはない」と述べている。二〇〇一年総裁選で八月十五日参拝を公約して、党の有力支持団体、日本遺族会の票獲得に動いたのは誰だったか。小泉氏である。それでいて、ポスト小泉の総裁選は靖国を争点にするな、と言うのなら、そんな身勝手はない。
盟友であった山崎拓氏が「外交問題でないと強弁しても、内政問題であり、争点になる」と言っている。その通りだ。次の総裁は小泉スタイルを継ぐのかどうか、党員も、国民だって、知っておきたいだろう。そもそも、靖国参拝をわざわざ目立たせて、外交問題に発展させたのは首相自身だ。いまさら「精神の自由、心の問題だ」と自分の殻に閉じこもるのでは、無責任だろう。参拝自体がいけないのか、外国が駄目だと言うからいけないのか、と居直ってみせる首相に、日米・日中戦争、その責任の所在をめぐっての思慮分別は感じられない。極東国際軍事裁判、いわゆる東京裁判と、そこで断罪されたA級戦犯の評価を抜きにして、靖国は語れないのに。次期総裁候補の一人、安倍晋三氏も小泉氏と同類らしい。先日こう言った。「先の戦争をどう評価するかを政治家が言うと、外交的、政治的意味を持ち、あまり賢明ではない。それは歴史家に任せたい」。意味が分からない。歴史認識を語れぬ総理総裁候補など、候補たりえない。
連立与党にあって控えめな公明党の神崎武法代表が、さすがに次の首相の参拝自粛を求めている。(1)歴代首相は侵略戦争を深く反省する談話を出している(2)靖国神社はA級戦犯が合祀(ごうし)され、かつての戦争を称賛している(3)そこに首相が行くのは内閣の方針と矛盾する−というものだ。また口先だけかと軽んじられないよう、神崎氏にはお願いしておく。(2006年1月13日付け東京新聞)
「格差社会の『自分探し』―男が揺らぐ」「大衆社会の主役」
本日より千葉の知的障害者更生施設での現場実習の後半が始まった。残り6日間であるが、この厳寒の中、電車を乗り継いで片道2時間の道のりがきつい。誰彼構わず会えば「寒いですねえ」が挨拶になってしまう。
本日の東京新聞に「格差社会の『自分探し』―男が揺らぐ」という特集が組まれていた。
その中で、『希望格差社会』(筑摩書房)が話題の山田昌弘・東京学芸大教授の男性の「落第感情」に対する興味深いコメントが寄せられている。
お見合い結婚が盛んなころなら、だれでも結婚のチャンスがあった。女性が仕事をしてない時代なら、男は少しの努力で上に立てた。がんばれば自分にもできるという希望が持てた。でも、今は力を持った一部の人だけが「勝ち組」になる時代。その他大勢は、置いてけぼりになって、もてる男、もてない男の二極化が急速に進んでいる。
最近話題になった女性の勝ち組負け組は既婚子持ちか否かといったようにハードルが低いが、男性の勝ち組負け組の差は大きいように感じる。確かに、最近「K-1」や「PRIDE」といった格闘技や競馬やゴルフなど、一部の勝者とその他大勢の敗者の差が歴然とした優勝劣敗のはっきりしたスポーツが、特に男性に好まれるが、現在の風潮を反映しているのであろうか。
同日付けの東京新聞のコラムに、精神科医の斎藤学は「大衆社会の主役」と題して、「負け組」にエールを送っている。
自分を負けや下流に位置づけるというのはなかなか良い考えだ。少なくとも勝ちを目指して頑張るよりはいい。(中略)ところで、この大衆社会の中で力を持っているのはマイノリティーかマジョリティーか? 衣装やダンスの流行からお笑いの芸人のハヤリまで、カギを握っているのは一般大衆と呼ばれる貧乏で無責任で悪趣味な多数派ではないか。世の中は彼ら向きにできているのだから、地位・名誉・金に恵まれた人々を嫉妬したり羨望したりする必要などない。それにごく一部の勝者たちは、多数の敗者の恨みを恐れ、警戒し、敗者に媚び続けることを怠らない。敗者は勝者が提供するさまざまなサービスを楽しめばいいのだ。
斎藤氏は「勝ち負け社会」の特徴は、マスコミを通じて消費者大衆を不安に陥れ、大衆の不安からの脱出を企業なり国家が絡めとるところにあると指摘する。そうした社会の幻想を見抜けば、最初からいんちきなゲームに乗らずにすむと説く。
