本日、真ん中の子と一緒に熊谷市で開催された「埼玉サイクリングフェスティバル2015」に参加してきた。
昨夜から雨が降り続いたため、てっきり中止かと思っていたのだが、ホームページでの開催という告知を見て慌てて出発した。
現地に着いてから受付を済ました後も雨が続いていたため、急遽キャンセルしようかと迷ったが、出発時間ギリギリになって雨が上がりそうな気配だったので、意を決してスタートした。
39kmコースにエントリーしたのだが、子どものペース遅いので途中から27kmコースに変更した。それでも写真を撮る暇もなく4時間近く走りっぱなしであった。大勢で一斉に走るという経験は初めてであったが、午後から秋晴れの過ごしやすい天候となり、子どもと一緒に楽しく走りきることができた。また、来年も参加してみたい。
「自転車」カテゴリーアーカイブ
常総市サイクリング
本日は仕事が休みだったので、天候の悪い中であったが、国道16号から関宿の裏道に入り、下総利根大橋を越え、坂東市を抜けて常総市までサイクリングへ出かけた。
野田市関宿付近。「通り抜けできません」という看板の脇を抜けると、昭和50年代からほとんど変化のないような風景に出くわす。でも日常使っている道路から一歩入っただけで、どこか遠い田舎にワープしたような感覚になるのは面白い。
雨がぱらつく中、ふと目に留まった「水海道風土博物館坂野家住宅」なるところに立ち寄る。入館料300円がもったいなくて入らなかったが、趣のある庭園であった。100円であれば立ち寄ったのに(笑)。
「国指定の重要文化財である「坂野家住宅」。3ヶ年にわたる保存整備事業により、明治23年の銅版画に描かれた姿が再現された「水海道風土博物館」になりました。豪壮な主屋と表門、瀟洒な造りの月波楼(書院)、豪農の家の姿をとどめる蔵や小屋の数々、発掘・復元された庭園、四季折々の美しさを見せる中庭などの屋敷構えとともに、竹林や梅林・雑木林など、いつも私たちの暮らしとともにあった里山の風景が”まるごと体感”できる『歴史空間』」(常総市のホームページより)
普段通りの大人しい鬼怒川の様子。奥に見える辺りが堤防の決壊した箇所である。
ちょうど、水没の一番激しかった地域をぐるっと回ってきた。東日本大震災の爪痕のように、車が田んぼの中にひっくり返っており、あちこちの家が傾いていた。結構新築の家もあり、購入した人の気持ちは如何ばかりであろうか。明るい色の法被を着たボランティアの人たちも数多く来ていた。雨脚が段々と近付いてきたので、残念ながらお手伝いはできなかったが、多少の貢献をと思い現地で食事だけ掻き込んで帰路についた。
東京都心をポタリング その3
漱石公園の向かいに、私が20年前に住んでいたアパートがある。
20年前、私は漱石公園の前にスクーターを止めていた。また、深夜にタイマー片手にムエタイロープで縄跳びをしていた。
確か12,3年前の深夜に、ドライブの帰りに立ち寄ったことがある。その時も、こんなボロアパートが残っているのかと驚いた記憶が残っている。
それからかなりの年月が経っているので、とっくに潰れているかと思いきや、20数年前の出で立ちのまま鎮座していた。また、偶然なのか、神のお導きなのか、普段は閉じられている門がたまたま開けられており、担当のおじさんが建物のチェックをしていた。話を聞くと、オーナーが亡くなられて、競売に掛けられているということだ。事情を話してアパートの中を見せてもらった。
いや〜、驚いた。私が20年前に住んでいたアパートそのままであった。鍵も掛かっていなかったので、部屋にも入ることができたのだが、私が出てから誰も入居していなかったのであろうか、私が退去時に大家さんにチェックしてもらった時の状態のまんまであった。本を積み上げていた畳の凹みまで見えたような気がした。時代の変化を感じることが多い昨今であるが、20年前の学生時代にタイムスリップしたような変な感じであった。
また、共同便所の真ん前に部屋があったのだが、玄関に立ち込める饐えたような匂いも全く変わらなかった。共同便所のドアと自分の部屋のドアがぶつかる建て付けの悪さも、今や懐かしい。20年前の当時ですら、昭和を感じる古めかしさだった。大家さんも当時70歳くらいで、火の用心の拍子木を叩いていた。そういえば、隣アパート(と言っても、窓から手を延ばせば届いてしまうくらいの距離だが)から般若心経が聞こえてきたっけ。
あと数ヶ月で潰されてしまうのであろうが、最後に見て、触れて、さらに匂いを味わうことができて良かった。
自転車の旅ならではの出会いであろう。車であれば通り過ぎてしまう風景に、触れ合うことのできる自転車での旅をこれからも大切にしたい。
東京都心をポタリング その2
国会議事堂から、国道246号に入り、とらやの前を通り青山一丁目のスタバで一息つく。
その後国立競技場の造成地が見たいと思い、神宮外苑に足を延ばす。
工事現場は、外部者が入ったり工事の様子が見られたりしないように、周囲が全て厳重に覆いでガードされていた。
ここまで国民の目線をブロックして作られる「国立」競技場とはいかなるものか。
ここまで揉めたのだし、東京圏内に代替施設は多数あるのだから、思い切って誰もが反対をしない里山的な自然そのままの公園にしてしまってはどうか。ネットで調べたところ、明治神宮の森も明治天皇が亡くなった後に、荒地から草木を植えて新たに造成した土地ということだ。競技場作りで争う人間の醜い姿を俯瞰するように、悠久の自然そのものと触れ合う公園にするというのは妙案だと思うのだが。
そうなると、せっかくできた大江戸線の国立競技場駅の駅名も変えなくてはならないか。
神宮を抜けて新宿御苑の周りを走った。新宿高校の校舎やグランドは大学のようであった。
学生時代に何回か訪れたことのある新左翼系の書籍や新聞などが充実している模索舍に立ち寄った。
約20年ぶりであったが、往時と全く変わらない店の様子に、なんとも言えない安心感を感じた。経営は苦しいであろうが、運動を下支えする存在として頑張ってほしいものである。
まだ、日没まで時間があったので、帰り際に早稲田南町にある漱石終焉の地として知られる漱石公園に立ち寄った。
新たな観光開発なのか、20数年前まで見捨てられたような公園が俄かに脚光を浴びて、職員が常駐する資料館が建てられ、新たに記念館の建設が始まっていた。
東京都心をポタリング その1
昨日、苦労してタイヤを700×32cから700×25cに替えたので、早速乗り味を試してみたいと東京都心をポタリングした。
国道16号のイオンの辺りから松伏を抜け、江戸川CRを走る。ふと思い立って三郷から八潮市内の中川を走る。途中テレビで見たことのある珍しい地名に出くわした。「垳(土偏に行)」という地名である。出発して1時間あまり、初めてスマホのカメラを構える。
地図も無しに八潮から青砥周辺の下町を抜け、東京スカイツリーへとやって来た。外国人の団体が多数歩いていた小梅牛島通りから見るスカイツリーは、さながら観光写真のような佇まいであった。
スカイツリーから人ごみの中、自転車を押して歩きながら吾妻橋を通る。
ふと雑誌の記事を思い出し、山手線の線路を自転車で並走してみようと思い立つ。まずは神田駅をスタートとする。
ガード下の商店街の裏を抜ける。バイクでは出来なかった自転車ならではのコース取りである。
ガード下というのは、やはり構造上の制限があるためか、地権の絡みがあるのか、並んでいる店は昔のままである。
東京駅
どこに向かっているとも分からず、ひたすらペダルを漕ぎ続けた。ふと見上げるとホテルオークラの建物だった。