十文字学園女子大学のパンフレットを読む。
1922年に東京・巣鴨に創設された高等女学校を母体として、1966年家政科と幼児教育科からなる十文字学園女子短期大学が開学し、さらに1996年に4年制大学ができ社会情報学部が置かれ、2002年に人間生活学部が開設されている。ちなみに「十文字」という名称は設立者の「十文字こと」さんにちなむ
「大学短大専門学校案内」カテゴリーアーカイブ
パンフレット研究:拓殖大学
拓殖大学のパンフレットを読む。
1900年台湾協会が台湾方面で活躍する人材養成のために設立した台湾協会学校が起源。1904年に台湾協会専門学校に、18年に拓殖大学となった古い伝統のある学校である。
初代学長は日韓併合を積極的に推し進めた首相桂太郎が務め、3代学長には台湾経営に顕著な働きを見せた後藤新平が就任するなど、元々は台湾植民地経営の尖兵養成的な意味合いの強い学校であったようだ。「拓殖」という語を辞書で引くと、「開拓および植民を事業とする」と出てくる。
現在では商学部、政経学部、外国語学部、、国際学部、工学部の5学部を設置する中規模大学となっている。商学部と政経学部の3・4年生、および大学院生は茗荷谷の文京キャンパスを利用するが、後はJR高尾駅から直通バスで5分ほどの不便なキャンパスを利用することになる。都心のキャンパスを利用する商学部や政経学部は就職活動その他至極便利であるが、他の文系学部は特にこれといった特徴もない。あの山奥のキャンパスに定員の3倍も4倍も受験生が集まっているのが不思議なのだが、ネームバリューのなせる技であろう。
パンフレット研究:国際学院埼玉短期大学
国際学院埼玉短期大学のパンフレットを読む。
1963年に開校した大宮国際料理学院と1973年に開校した大宮保育専門学校が母体となって、1983年に設立された新しい短大である。幼稚園教諭と保育士の二つの資格が取得できる幼児保育学科と、栄養士と調理師の資格が取れる健康栄養学科の2学科からなる。
パンフレットだけでなく、教育内容も郊外型の私立高校に似ており、就職率100%が宣伝文句とし、「きめ細かな指導」のもと、挨拶、清掃、時間といったマナーの育成に教育の重点が置かれている。
パンフレット研究:高千穂大学
高千穂大学のパンフレットを読む。
1914年に川田鉄也が創設した高千穂高等商業学校が起源で、1955年に「常に半歩先立つ進歩性」という学風の指針を掲げて新制大学に移行し、高千穂商科大学として開学し、商学部が置かれた。2001年に現校名に改称し、経営学部が設置され、2007年に人間科学部が新たに設置されている。
伝統ある学校で、戦前はエリート養成学校であったが、戦後の学校経営に混乱を来し、付属の小中高校が相次いで閉校に追い込まれている。井の頭線の西永福駅から徒歩7分という好立地にあるのだが、「いまいちぱっとしない学校」に落ち着いてしまっている。パンフレットを読む限り、スポーツに力を入れるわけでなく、教育課程に工夫があるわけでなく、少人数教育による面倒見の良さをアピールするだけである。
経営学部、商学部の二学部が設置されているため、商業高校出身者が多いのが特徴である。商業高校出身者のさらに学びたいという需要には応えている。
パンフレット研究:上武大学
上武大学のパンフレットを読む。
1968年に群馬県伊勢崎市に開学した新しい大学である。
「雑草精神」を建学の精神とし、「たくましく社会に役立つ人を養う」ことを目標に据えている。
現在ではビジネス助法学部、経営情報学部に看護学部の3学部規模に至っている。経営情報学部は会計ファイナンス学科、アジア地域ビジネス学科、スポーツマネージメント学科から成り、経営情報学部は経営デザイン学科、メディアマネジメント学科の2学科から成る。
テニス、陸上、野球、サッカー、バスケットボールの6つの部活動が強化クラブに指定され、全国からスポーツ特待生を受け入れ、大学の宣伝に一役買っている。
一般入試よりもスイセン入試やAO入試の方がはるかに募集人数が多い典型的な新興私立高校スタイルを踏襲する郊外型大学となっている。
