ピーター・フランクル『日本人のための英語術』(岩波書店 2001)をパラパラと読む。
著者は、ハンガリー出身の数学者で、刊行当時早稲田大学の理工学部で英語(数学?)を教えていた。
英語を学ぶというよりも、英語を教える先生へのアドバイスといった内容である。発音や文法の完璧主義が学習を阻害するという点が印象に残った。会話でも英作文でも知っている簡単な言葉を繋げて、間違っても良いから継続することが大切だと述べる。
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『地図の文化史』
海野一隆『地図の文化史』(八坂書房 1996)をパラパラと読む。
現存する世界最古の地図として知られる、カフカスのマイコプ遺跡から出土した銀製の壺の表面に描かれた紀元前3000年頃の地図に始まり、有名なバビロンの世界図やエラトステネスの世界図、プトレマイオスの世界図、マテオ・リッチの「坤輿万国全図」など、百科事典なみに紹介されている。
著者は1921年生まれで、第七高等学校造士館を経て、京都帝国大学文学部に進学し、大阪大学で人文地理学を担当していた学者である。地図一つ一つについての解説は詳しいが、いかにも辞典的な説明で、いまいち興味が沸かなかった。
『チャップリン』
江藤文夫『チャップリン』(岩波ジュニア新書 1995)をパラパラと読む。
著者は成蹊大学文学部で映像論や思想・文化論を講じた文学者である。岩波ジュニア新書なのに、ひたすらチャップリンの映画の作品論が展開されていて、取り付く島もないまま突き進んでしまっている。
ただ、チャップリンが1932年の5月14日に来日し、翌15日には当時の犬養毅首相の子息健が相撲見物に招待している。5.15事件はその相撲見物の最中に実行されている。当時犬養毅殺害の首謀者であった古賀海軍中尉の裁判記録では、チャップリンも殺害予定だったそうだ。合衆国の有名人であるチャップリンを殺すことで合衆国との戦争を引き起こせると信じたという証言が残されている。
『住の世界』
菊地俊夫・岡秀一編著『住の世界:私たちの住を考える』(二宮書店 2003)を読む。
東京都立大学の地理学の先生方が、目黒区の市民大学での講義をまとめた学術書となっている。
興味を持った箇所を引用しておきたい。
ヨーロッパには土地の性格を反映して、さまざまなタイプの住居が建てられている。建築材料からみてみると、気候条件によって森林が発達している地域と発達していない地域、つまり木材が利用できるところとできないところに関連して、住居タイプが異なることがわかる。例えば、木造建築は北ヨーロッパのスカンディナヴィア地域と東ヨーロッパのスラブ地域、および中央ヨーロッパで卓越し、それらはいずれも豊かな森林地域を背景としていた。
石・芝土・粘土を材料とする住居タイプは地中海沿岸や西ヨーロッパの石灰岩地域で卓越している。(中略)レンガを利用した住居はバルト海沿岸と北海沿岸に多く見られる。これらは低湿地で洪水のため森林が発達していない地域であり、沖積層が深いため石も手に入れにくい地域である。しかし、人々は豊富な沖積粘土を利用し、それを焼いて赤いレンガをつくって建築材料としてきた。朝鮮半島は日本の本州とほぼ等しい面積を持ち、位置する緯度帯も似通っている。しかし、同緯度の日本各地と比べると、夏の気温は同じか、やや高いくらいなのに、冬の寒さはずっと厳しく、その期間も長い。(中略)韓国の首都ソウルは、緯度の上では富山や福島よりやや南に位置するが、真冬の月平均気温をみると4〜5度も低い。(中略)朝鮮半島のオンドル(温突)は、現在は床に温水パイプを埋め込んだボイラー式や電熱式が普及しているが、西暦紀元前後に高句麗で成立したとの見方が有力である。
世界の様々な気象記録の極値は最低気温−71.2度のロシア・オミミャコン、最高気温58.8度のイラク・バスラ、最大年降水量2万6461mmのインド・チェラプンジ、最小年降水量0.6mmのチリ・アリカ。
ちなみにインドのチェラプンジはインド東部のアッサム地方にある。また、イラクのバスラはこの本では世界最高気温とされているが、wikipediaによると、アメリカ・デスバレーの56.7度が世界最高気温とされているとのこと。チリのアリカは、チリ最北部、ペルーとの国境に近い港湾都市で、アタカマ砂漠北部の乾燥地帯にある。
オーストリア・チロルなど森が豊かなところでは断熱性・機密性に優れる木造建築がもっぱらであり、暖房用の薪に至るまで樹木に依存している。一方、森が貧弱なアイルランドなどでは、石積み・草葺き屋根が目立つようになる。暖房は周辺の至る所でとれる泥炭が用いられる。
川は水が流れ、水があふれるものである。現在の人間の生活の場の多くは、川が暴れてつくったものであるともいえよう。その意味では、川(水)を完全にコントロールしようという「完全主義」は最初から破綻している。現代文明は川の流れに逆らい、川を横断することを指向しすぎたのではないか。
田園都市を視察した渋沢栄一はハワードの都市計画に共鳴し、田園都市と同様のコンセプトで田園調布を建設した。
『学校・学歴・人生』
森嶋通夫『学校・学歴・人生:私の教育提言』(岩波ジュニア新書 1985)を読む。
著者は大阪大学で数理経済学を教える学者であり、長く「日本人初のノーベル経済学賞」の有力候補とされた人物である。著者自身の経歴に沿って、旧制高校から大学への移行期の混乱や大学内の人事などが批判混じりに説明されている。また、高校や大学も平等主義を建前としているので、いたずらな競争が激化されているということで、序列ではなく、種別によって学校を再編することを主張する。現在の高校再編にもつながる分野の話である。
私は知らなかったのだが、旧制高校の卒業生はかならずどこかの帝国大学に入学することができる仕組みだったとのことである。だから、進学や就職を心配することなく、一般教養や男子校のノリにのめり込んでいった。