『自転車少年記』

竹内真『自転車少年記:あの風の中へ』(新潮文庫,2006)を読む。
最後の解説を読んだところで、同書名の単行本の後半部分の凝縮版と続編を含む新版であることが分かる。後半部分に書かれていない前半部分の回想シーンもあり、少し分かりにくい展開となっている。編集サイドでもう少し工夫できなかったのか?

タイトルを読むと冒険記のような内容なんだろうと思っていたが、子どもが自転車に乗り始める時の父親の気持ちが丁寧に描かれており、ちょっとホロっとくるシーンが印象的であった。

仕事の都合で、沖縄の今帰仁村にある世界遺産にも登録されている今帰仁城跡と古宇利島に出かけた。気温は30℃もあり、一気に夏に戻った感がある。古宇利島は珊瑚礁に囲まれた綺麗な島で、橋でわたると、リゾート気分が一気に盛り上がる。

今帰仁城跡は岩を中心に見て歩いた。白い石灰岩もあるが、大半は黒色がまじった凝灰岩である。もらったガイドを読んだところ、沖縄本当に火山はないが、今帰仁村はかつて海の底であり、周辺の火山灰が降り積もり、地上に隆起した場所であると分かった。しかし、修復の際に県内のあちこちから岩を持って来たようで、写真では分かりにくいが、近くに寄ると白とグレーが入り混じった斑目模様となっている。

『宇宙はわれわれの宇宙だけではなかった』

佐藤勝彦『宇宙はわれわれの宇宙だけではなかった:マザーユニバースとチャイルド・ユニバースの謎』(同文書院,1991)を読む。
難解な宇宙の始まりや「4つの力」について、例えや小学校レベルの知識を用いて分かりやすく説明されていた。パラパラと読み流すつもりであったが、最後まで文章の持つ魅力に引きつけられた。著者はホーキング博士の著書も訳されており、難しいことを易しく説明できる頭の良さをひしひしと感じた。例えば著者は宇宙の「果て」について、次のように説明する。

いま、東京を出発点に北にまっすぐ進んでみましょう。北極を通りこしそのままどんどん南に行ってしまう。さらに、進むと南極を回って東京に戻ってきますが、そこで地球は終わりではなく何周でも前に進むことができます。その意味で、地球には、ここから先は地球ではないという「果て」はありません。「果て」がないなら地球は無限に大きいのでしょうか。もちろん、そんなことはなく表面積には限りがあります。

他に気になったところを書き留めておきたい。

宇宙という言葉は、中国の漢時代の書物「淮南子」に「四方これを宇といい、往古近来これを宙という」と書いてある。空間的広がりと時間的広がりを合わせたものが宇宙といい、現在の相対性理論の考え方と一致している。

「特殊相対論」によれば、時間がゆっくり進む度合いは、宇宙船が光速度の半分のスピードになると1.15倍、光速度の90パーセントになると2.29倍、99パーセントになると7.09倍、さらに速くなるとその効果は急激なカーブを描いて上昇し、そしていよいよ光速に達してしまうと、われわれから見て、その宇宙船は時間が止まってしまう。

ニュートンによれば、月と地球の間には万有引力が働いて互いに引き合っている。引き合う力と遠心力がうまくつり合って、月は飛んでもいかないし、地球に落ちてくることもないと説明される。これに対して、「相対論」はまず、大きな質量を持った地球がデンとあることによって、地球の周りの空間が歪められていると考える。そしてその空間の曲がりに沿って月が進むとし、重力とは空間の曲がりによって発生する力であると説明する。

昔は電気の力と磁力の力は別のものと考えられてきた。ところが1820年、鉄の棒にコイルを巻いて電気を通すと磁石になることが発見され、その後マックスウェルによって電気も磁力も統一に説明できるようになった。

『サイファ覚醒せよ!』

宮台真司・速水由紀子『サイファ覚醒せよ!:世界の新解読バイブル』(筑摩書房,2000)をパラパラと読む。
ほとんど頭に入ってこなかった。唯一興味を引いたのが、宮代氏を含めた1960年前後生まれの「新人類世代」と、干支で一回り違う東浩紀を含めた「団塊ジュニア世代」の比較であった。

脚注によると、「新人類世代」とは、『朝日ジャーナル』の連載「新人類の騎手たち」に由来する説が有力で、1973年〜76年のシラケ時代に中高生だった1958〜1963年生まれを指す。団塊世代のようなうって一丸となる行動も世代意識もないこと、志向が細分化していること、生まれたときからメディアまみれで育ったこと、デート文化に長けていることなどが特徴であり、初期のオタク世代と重なっている。一方、「団塊ジュニア世代」は、団塊世代が結婚・出産を迎えた第二次ベビーブーム(1971〜1975年)に相当する年代である。バブル末期の90年頃には「イチゴ世代」と呼ばれて注目されてきたが、新人類世代と比べても、直後のブルセラ世代(1976〜1980年生まれ)と比べても圧倒的に地味なライフスタイルで、実りは少ない世代であると説明されている。

「団塊ジュニア世代」に比べて、「新人類世代」が物書きでも映画監督でも桁違いに多いという宮台氏の言葉が印象に残った。「団塊ジュニア世代」の悲哀を改めて噛み締めた。

『スピティの谷へ』

謝孝浩『スピティの谷へ』(新潮社,2001)をパラパラと読む。
スピティの風景や人々の写真とともに、スピティのある家族の生活が詳細に綴られる。
スピティとはインドの最北部に位置し、標高3200mから4200mに点在する村である。パキスタンとの領有争いで有名なカシミール地方とチベットに挟まれた山間の小さな村である。カシミール地方やラダック地方というと、ヒンドゥー教文化とイスラム文化が混在している地域という勝手な印象があったが、スピティ地方はチベット文化圏にある。チベットから逃れてくる人々もいたり、ネパールの文化も入ってきたり、文化や言語、宗教が混在しつつ共存している地域であるということが理解できた。