赤穂〜秋吉台〜萩 ドライブ旅行 続きの続き

子どもが車内で熟睡している間、萩市内を慌ただしく走った。まずは松陰神社に向かう。吉田松陰が安政の大獄で処刑されるまでの20代後半の数年指導した松下村塾が残されている。建物の周辺を歩いてみたのだが、大学のキャンパスのような雰囲気を感じた。散歩に適した道も整備されており、京都大学のような落ち着いた佇まいであった。

続いて、長門の藩校であった明倫館を訪れた。小学校も伝統と先進性を感じる校舎であった。

続いて萩城跡

萩城周辺の城下町をうろついた。

山陰本線萩駅

萩往還路と久坂玄瑞誕生の地

下関に向かう。唐戸市場の失敗。

門司港駅

福岡タワーからの夜景と中洲通りの遊覧船

最後は新門司港からフェリーに

赤穂〜秋吉台〜萩 ドライブ旅行 続き

今朝は赤穂駅前にある東横インで目が覚めた。
兵庫県赤穂市も愛媛県伯方島も瀬戸内気候に属するため、夏の降水量が少ない。江戸時代から塩田によって天然塩の生産が盛んであった。ネットで調べたところ、1905年んに専売公社が設立されてから政府の管理下にあった。1971年には全てイオン膜交換法に切り替わったことで姿を消すこととなる。現在、赤穂や伯方の名のついた外国産の天然塩が流通している。

その後、山口県美祢市までかっ飛ばした。


秋芳洞 日本三代鍾乳洞の一つに指定されているらしい。
それにしても、日本人は「三大〜」が好きだね。


その後、秋吉台ジオパーク周辺を散策する。残念ながら博物館は休館であったが、石灰岩特有の凹地形であるドリーネやウバーレを自分の目で確認することができた。


帰りは萩市の外れにある民泊施設で休むこととなった。

沼津〜京都〜赤穂 ドライブ旅行

昨日の夜からドライブ旅行に出かけている。
一昨年は長女の受験があり、昨年は長男の高校受験、そして、来年は次男の高校受験、再来年は長男の大学受験が控えている。今年の冬こそはということで、思い切ってフェリーを予約し、新門司港までの行き当たりばったりの旅行へと出発した。

昨夜は沼津の24時間営業のサウナで仮眠をとり、本日は途中渋滞もあったが、ステップワゴンのクルーズコントロールの機能に助けられ、京都までひたすら走った。長男の希望で、Wakatte.TVでお馴染みの高田ふーみんの母校である京都大学へ訪れた。都内の私立大学と違い、ゆったりとした校舎の配置になっており、周辺の寺社仏閣とも調和され、学問の殿堂という感じの大学であった。途中、吉田寮の前を通過したが、入り口が昔ながらの立て看で埋め尽くされていた。

少しでも距離を稼ぎたいと思い、京都からさらに距離を伸ばして、兵庫県の赤穂市で一泊することとなった。子どもを連れて有名庵居酒屋チェーン店で夕食となったが、サービスも悪く、味も美味しくなかった。これで8000円かと子どもに愚痴をこぼす始末。帰りにセブンイレブンで買った焼き鳥で満足。

『夫婦2人で世界一周自転車旅行』

青木史也『夫婦2人で世界一周自転車旅行』(彩図社,2014)を読む。
タイトルにある「世界一周」ではないが、タンデム自転車で東南アジア、東アフリカ、ヨーロッパ、北米、南米を旅したエピソードが綴られている。ちょうど著者は私と同年代であり、まだ体力が有り余っている30歳前後の頃の旅日記である。時期も異なるので仕方ないのだが、一つ一つのエピソードが繋がっていないので、冒険というよりも旅行記のような体裁となっている。もう少し編集サイドで地図やエピソードのまとめがあると、もっといい本になったのにと思う。

『コンビニ ファミレス 回転寿司』

中村靖彦『コンビニ ファミレス 回転寿司』(文春新書,1998)を読む。
著者は東北大学文学部を卒業後、NHKで食の取材を重ねてこられ、執筆当時解説委員と女子栄養大学客員教授を務められている。もう30年くらい前の本であるが、タイトルにあるコンビニ食やファミレス、回転寿司だけでなく、食料自給率やフードロス、米余り、冷凍食品技術、遺伝子組み換え、子どもの孤食など、現在にもつながる食をめぐる様々な課題に言及している。「子どもの食卓はその家庭や家族状況を知るための手掛かりになるだけでなく、その時代の食事情をうかがわせる入口」だと著者が述べるように、個別の食事や食生活が、時代を反映する鏡となっていることに気づく。

米余りの分析が興味を引いた。10アールあたりの年間労働時間(1996年)を比べると次のようになる。

  • 稲作 38時間
  • 露路野菜 110時間
  • 温室・ハウス野菜 212時間
  • 温室の花栽培 236時間

上記の統計を見ても分かる通り、米は他起こし、田植え、収穫作業まで一貫して機械化されているし、共同の施設もあり、雑草をとるにも除草剤があり、病気や害虫を防ぐ農薬まで準備されている。他の作物に比べ3分の1から6分の1の労働時間ですむ。だから、サラリーマンしながらの第二種兼業農家として最も適した作物となった。といってもコメも1970年(昭和45年)には、10アールあたりの労働時間は117.8時間であった。必ず政府が購入する食管制度に守られ、農機具メーカーも開発努力を継続できたことが背景にある。