『アダルトな人びと』

足立倫行『アダルトな人びと』(講談社 1992)を読む。
1990〜1991年当時、レンタルアダルトビデオ全盛時代に活躍した、ダイヤモンド映像の村西とおる監督やアテネ映像の代々木忠監督、「V&Rプランニング」のバクシーシ山下監督に対して、男性の自慰行為のネタ以上のアダルトビデオを撮ることの意義を質している。著者はエロスというものが理性や世間体の逆にあるものではなく、実はすぐ裏に潜んでいるものだと述べる。つまりエロスを映像化するということは、われわれ現代人がいかに理性という薄い仮面で生活しているのかということの証左ともなる。
この中で今でも活躍しているのは「V&Rプランニング」の代々木忠監督だけである。代々木監督の作品の中に、女性二人が男性の肛門を執拗に攻め、男性を前後不覚のオーガズムに導いたビデオがあるらしい。その映像を撮影した際、監督は次のコメントを筆者に語っている。

代々木によれば、池田(男優)のオーガズムは過渡的なものだと言う。なぜなら絶頂の瞬間に、勃起も射精もしていないからだ。池田の中で、自意識を捨てたいという気持ちと、そこまでしたくない気持ちのせめぎ合いがまだある、と。男のオーガズムの段階にもいろいろあるが、「本当はエゴイズムを捨て切れれば、男の場合、勃起、射精を伴った至福の境地に至る」と代々木は信じていた。”性のエゴイズム”代々木の、AVを舞台にした実験はまだまだ続くのである。

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