「梯子のような橋になりたい

本日の東京新聞に夕刊の文化欄に、『ピョンヤンの夏休み』を刊行した作家柳美里さんのインタビュー記事が掲載されていた。
柳さんは、ここ数年で3回北朝鮮に渡り、北朝鮮に暮らす普通の人々の生活の様子を本に著している。そして、今回の金正日総書記に死去の報道で日朝関係に変化が生じることについて、次のように語る。

国同士の関係は、人の流れができなければなにも変わらないと思いますね。(中略)今回の訃報で、特定のレッテルや感情的な偏見がぶり返すようなことになってほしくないです。

そして、歴史の流れに沿って考える姿勢が必要だというスタンスで次のようにも語る。

例えば、日本が高度成長期だったころの朝鮮半島情勢はどうだったのか。従軍慰安婦問題から拉致問題を時系列で見ると約30年。この間の流れをもっと理解してほしいと思いますね。

確かに1950年代から80年代にかけて、日本はアメリカの核や軍事力の傘下の下で経済成長を突っ走ってきた。しかし、それは朝鮮半島における歪な形での停戦が保たれていたからである。その間の歴史については高校の世界史でも触れることは少ない。
最後に自身のこれからの役割について次のようにまとめる。

堂々たる橋ではなく、梯子みたいな橋のような存在になりたい。橋が固定されて大きくなると、そこが一つの”立ち位置”になる。物書きとしてはそれではいけないと私は思っています。梯子を架けて渡って、いったん外してまた架けて次の場所に行く。そういう存在。判で押したようなステレオタイプの北朝鮮議論をいつまで続けるのか。人は自分の立ち位置によって見方や考え方は違いますが、歩いてみれば、見えるものがまた違ってくるだろうと思います。一つの立場にとどまっているより、歩いて、場所を変えて、見方を変えていくということを選びたいんです。

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