菅野完『日本会議の研究』(扶桑社新書,2016)を読む。
安倍政権を支えた日本会議の元締めの「犯人」に迫るミステリーを読んでいるようなワクワク感があり、一気に読み進めてしまった。著者はネット右翼や宗教団体など幅広い支持層を固める日本会議の運動の原点はどこにあるのかと、丁寧な文献調査やインタビューを行なっている。そうした中で、長崎大学で左翼学生と対峙し、後に「成長の家」の青年部をまとめてきた安東巌や樺島有三がその元締めであるという結論に至る。
しかし、著者は与野党問わず政界に大きな力を及ぼすに至った日本会議は、ゆめゆめ「犯罪」など行なっておらず、むしろ、デモや陳情、署名、抗議集会、勉強会といった極めて民主的な市民運動を何十年も継続してきた団体であると評価している。
著者は最後に次のように述べる。
(日本会議)の運動は確実に効果を生み、安倍政権を支えるまでに成長し、国憲を改変するまでの勢力となった。このままいけば、「民主的な市民運動」は日本の民主主義を殺すだろう。なんたる皮肉。これでは悲喜劇ではないか!
だが、もし、民主主義を殺すものが「民主的な運動」であるならば、民主主義を生かすのも「民主的な市民運動」であるはずだ。そこに希望を見いだすしかない。賢明な市民が連帯し、彼らの運動にならい、地道に活動すれば、民主主義は守れる。