『ボクが東電前に立ったわけ』

園良太『ボクが東電前に立ったわけ:3・11原発事故に怒る若者たち』(三一書房 2011)を読む。
フリーター全般労働組合で活動していた著者が、福島原発事故の1週間後から東電本社前直接行動を始めるようになったきっかけや経緯について語る。3・11直後から反原発運動を始め、他団体の連帯や

園氏は、日本の社会運動を概観して次にように語る。

 日本の運動は、若い人が入ってきて自由に活動して活気が出るというのではなく、どんどんおとなしいものになっていき、屋内集会ばかりやったり、個別バラバラに動いていったりする傾向にあります。街頭に出て大デモを打ったりするようにはならない。そういうことをやらないと、政治や社会は変わらないのに、海外のほうがそのノウハウの積み重ねがあります。海外ではこの十数年間、反グローバリゼーション運動が広がり、個別の運動が協力し合いながら新自由主義経済や戦争に反対したのですが、日本はそこから取り残されていた感があります。
さらに、日本の場合は「規律化された社会」であることがその背景にあります。満員電車に揺られて通勤し、マニュアル化された労働をし、人とのつながりも薄い中で、何か問題が起こればパッと体を動かして外に出る、怒るという身体感覚が奪われています。喜怒哀楽の感情をあまり表に出さないということもあります。即座に声を上げるよりは様子を見る。情報にアクセスして情報収集に追われてしまう。さらには、連帯できる他者に対して懐疑的になってしまったりする。日常のなかでの関係性や身体感覚のあり方が、連帯の生まれにくいものや街頭行動に適さない形になってしまっているように思います。それも昔からそうだったのではなく、この数十年の間につくられてきたのです。そこが、今大規模に行動を起こしている国々とは違う点です。
二つ目に、日本では運動する人に対する偏見があるから、孤立してしまうというのもあると思います。昔は「アカ」と呼ばれたし、団塊世代からあとの世代では「過激派」「運動なんてダサい、暗い、硬い」と言われ、今は「プロ市民」とすぐ言われます。スペインなどでは、今年の5月に、若者が二大政党の腐敗に抗議して街頭で大規模な座り込み行動をしていました。彼らを見ていると、いい意味で屈託がない。振り返って日本の僕たちはもっと精神的に重荷があるし、自分に自信がない。躍動感が違いますよね。

この文章を読みながら、新日本プロレスの木谷高明氏の「すべてのジャンルはマニアが潰す」という名言を思い出した。

最後に著者は次のように述べる。

 僕も昔は、人と関係を結んだり感情を表現することが苦手でした。まして、自分たちの力で世界を変えられるなどとは思ってもみませんでした。日本社会でそのように感じている人は本当に多いで賞。でも、僕は社会運動に参加し、変わりました。問題の根源を学び行動するなかで、僕たちは無力じゃない、他者は信頼できる、怒りを表現することで現実は変えられると実感できたのです。 一般に若い世代には、時間、体力、エネルギーがあります。それは未来を変える起爆剤となる行動を生み出すかけがえのないものです。あまり細かいことは気にせずに、思いきりよくどんどん直接行動して闘いましょう。そういう闘いは、仲間との助け合い、善意、信頼関係が生まれるものであります。だからこそ声を上げるなかで、協力し合い新しい生き方をつくることを当たり前にしていきましょう。

2011年の4月10日に高円寺で反原発サウンドデモを主催した「素人の乱」5号店主の松本哉氏は次のように語る。

 自分は、デモは予定調和で終わっては意味がなく、ある程度のインパクトや混乱を与えてこそ世の中は変わるんだと考えていたので、「言いたいことを言い、タダごとじゃないんだというものを見せたい!」と意気込んでいました。(中略)
原発がいかなるものであるかはっきりした。だから原発推進派に押し切られたら終わりですよ。自分たちで自分たちのことを解決する力がゼロだと世界に見られてしまう。「反対していたのに、いつのまにか賛成の流れができて進んでいっちゃった」という歴史を繰り返さないようにしたい。そのためにはデモを畳み掛けたいし、もっともっと予測不可能なことをやりたい。それが現実を変える力になるのですから。

確かに、あらゆる場面で、何事も経験に任せて、前年までと同じく予定調和的に物事を進めようとする

Ryota Sono online

フリーター全般労働組合

核と被ばくをなくす世界社会フォーラム2016

岩上安身責任編集インディペンデント・ウェブ・ジャーナル

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