8月なので戦争関係の本と思い、澤地久枝『大人になる旅』(新潮文庫)を読んだ。
幼い甥に対して語りかけるという観点で書かれており読みやすく、中高生におすすめの本だ。
著者の敗戦後の満州での引き揚げ体験が生き生きと語られており興味深かった。
当時私は子どもで、そのことの直接の責任はおえません。しかし、侵略し支配した側にいた子どもであったことは、忘れるわけにはゆきません。難民生活引き揚げも、少女期にはいっていたわたしにとって、かなりの試練であったとしても、私は被害者という気持ちだけでそのことを語りたくはないのです。」
「天孫降臨」伝説を盲信し、「八紘一宇」を旗印にアジア侵略を企てた日本政府に突き動かされて移住してきた日本人を、現在の我々が歴史の上でどう位置づけるのかというのは議論を含む問題である。中国人の生活をずたずたにした加害者として捉えるのか、日本政府の軍国化の被害者として捉えるのかという問題である。一方で、日中平和友好条約、日韓基本条約の議論のベースに、日本人の大多数は当時の軍部の独走の「被害者」であるという理解があったことを忘れてはいけない。太平洋戦争の直接の責任者を東京裁判でA級戦犯と定め、それを国会で正式に承認したことで、直接の戦争責任が日本政府にあり、多くの日本人もそれに翻弄されたと確認したことからアジア各国との友好を築いてきたのだ。満州における多くの日本人は日本国内の軍国化によって生活が困難になったために、新天地満州へやって来たのが大半なのだ。その意味で、満州での日本人を「被害者」と見る視点は大事にしたい。また一方、その日本人の入植によって中国人がさらに悲惨な生活を強いられたという、「加害者」の視点は同時に合わせ持ちたい。ただ、一つはっきり言えることは、War shrineと称されるA級戦犯が合祀されている靖国神社に内閣総理大臣が参拝するということは、上記の議論をふっとばす単なる戦争賛美、遺族会の集票行動にしかならない。