パンフレット研究:松蔭大学

松蔭大学のパンフレット(2014年度版)を読む。
聞いたことのない大学であったが、学園法人の歴史はまあまあ古い。1941年に下北沢に創立した松蔭女学校を母体とし、中学・高校・幼稚園・短大・大学と経営の幅を広げている。バブル経済と団塊ジュニアブームに乗ったのであろうか、1985年に神奈川県厚木市森の里に松蔭女子短期大学が開学している。しかし、青山学院同様、森の里では学生が集まらなかったのであろう、2000年にビジネスマネジメント学科と異文化コミュニケーション学科からなる経営文化学部からなる松蔭女子大学に転換している。しかし、それでも学生が全く集まらなかったようだ。当時の定員充足率は20%ほどである。そのため、2004年に共学の松蔭大学に名称を変更し2学部体制に改めている。少しは学生が集まるようになったのであろうか、2006年に大学院が開設され、2009年に観光学部が増設され、2013年現在、金融経済学科、経営法学科、ビジネスマネジメント学科の3学科からなる経営文化学部、日本文化コミュニケーション学科、異文化コミュニケーション学科、生活心理学科の3学科からなるコミュニケーション文化学部、観光文化学科、メディア情報文化学科からなる観光メディア文化学部の3学部8学科体制となっている。

学生集めは相変わらず苦労しているようで、500名弱の定員に対して、2013年現在の新入生は200名に留まっている。そのため入試の回数は多く、推薦入試3回、AO入試は8月から3月まで随時ず〜っと行っており、加えて一般入試4回、センター利用入試が3回である。これに、社会人特別入試5回、外国人留学生特別入試3回が付け加えられる。結果は非公表であるが、おそらくは全種全回において1.00倍であろう。さらに、3年次編入試験も推薦2回、一般2回の計4回も実施される。ここまでくると、果たして入試という形態をとる必要があるのだろうか。試験日の前日午後3時まで出願を受け付け、面接や小論、現代文試験で形を取り繕い、次の日に発表である。入学書類を随時受け付けている専門学校の方がよっぽどすっきりしている。

大學関係者には申し訳ないが、パンフレットを読む限り、定員割れ大学にはやはりそれなりの理由が存在するのであろう。これほど読みにくいパンフレットは初めてであった。松蔭大学は3学部8学科構成なのだが、8学科の紹介ページ全てに全学共通科目のページが挿入されている。つまり全く同じ内容の見開き2ページにわたるカリキュラム表が8枚も掲載されているのである。ここだけで如実に大学の破綻ぶりを示している。また、こまかく学科編成しているわりには必修科目は10単位ほどしかない。異文化コミュニケーション学科に至っては、大半が半期履修ながら、100科目以上ある専門科目群の中で、必修科目は2科目しかない。これでは系統的な指導は不可能であろう。選択の幅が多数あるように見えるが、入学者200名に対して果たして選択通り開講できているのであろうか、疑問は払拭し得ない。

1・2年生は全学部において基礎ゼミを必修とし、吉田松蔭論とホスピタリティ論を学ぶのだが、その中身は明らかにされていない。また、111ページの分量があるパンフレットなのだが、教員の名前も写真の紹介もない。就職や資格取得に特段の力を注いでいるような記載もない。
系列校から特待生を引っ張ってくるのであろうか、女子バスケットボール部と女子バレーボール部の2つ部だけが関東リーグ1部の上位を争っている。
1980年代に、どんどん郊外へと広がっていったベッドタウン生まれの団塊ジュニア世代をターゲットに短大を作ったのだが、潰すに潰せず、だらだらと拡張路線を歩んだのだが、中身は依然短大のままであり、形だけ大学っぽくなった張りぼてに過ぎない。愛国学園大学ほどではないが、10年以内に消えてしまいそうな大学である。

場所が辺鄙とはいえ、せっかく校舎もスクールバスもグラウンドもあるので、明確なビジョンを持って「知行合一」でカリキュラムやキャリア支援のあり方を抜本的に変えていけば、再生の道はあるはずである。いっそのこと森の里を離れて成功した青山学院大学を見習って、年寄りな教授陣がいなくなった後、下北沢に徹底した外国語、コンピュータを柱にした経営観光学部一本の大学に特化すれば生き残りのチャンスがあるかもしれない。

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