月別アーカイブ: 2019年6月

「旧満州の朝鮮人 苦難の足跡」

本日の東京新聞朝刊に,1945年の敗戦当時,旧満州に暮らしていた200万人超にのぼった朝鮮人の方への丁寧な聞き取り調査をまとめた李光平氏へのインタビュー記事が掲載されていた。
満州というと,石原莞爾や板垣征四郎(A級戦犯で絞首刑)らが主導した満洲事変以後,日本人の農民の集団入植が続いた土地である。「耕作できる良い土地という触れ込みで来たら,何もない荒れ地だった」という記事中の言葉にある通り,日本人も陸軍の「満蒙開拓団」の宣伝文句に騙され,160万人近くが満州に渡っている。

敗戦時,満州に取り残された日本人の悲惨な逃亡劇やシベリア抑留などはよく知られたところであるが,日本人以上に苦しい生活を送った朝鮮人の家族や,満州で慰安婦を強いられた女性のことは,歴史の教科書にもほとんど書かれていない。日本人の被害者としての側面は小説や映画,資料館などで注目が集まるが,加害者としての側面は意識して学ぼうとしないと気付かないままになってしまう。歴史評価に伴う両面性について注意を払っていきたい。

「プラごみ減『バンコク宣言』」

本日の東京新聞朝刊に,東南アジア諸国連合(ASEAN)首脳会談で,法規制強化を盛り込んだ海洋ゴミ問題に関する共同宣言で合意に達したほか,ミャンマー政府によるロヒンギャへの迫害や,中国による南シナ海の軍事拠点化について論議されるとの記事が掲載されていた。

以下,外務省のホームページより

ASEAN(東南アジア諸国連合)とは
東南アジア10か国から成るASEANは,1967年の「バンコク宣言」によって設立されました。原加盟国はタイ,インドネシア,シンガポール,フィリピン,マレーシアの5か国で,1984年にブルネイが加盟後,加盟国が順次増加し,現在は(ベトナム,ミャンマー,ラオス,カンボジアを加えた)10か国で構成されています。2015年に共同体となったASEANは,過去10年間に高い経済成長を見せており,今後,世界の「開かれた成長センター」となる潜在力が,世界各国から注目されています。2017年に設立50周年を迎えました。

ここ2,3年,EUやNAFTAの解体,G7サミットやTPPの停滞とは対照的に,ASEANの元気の良さが目立つ。域内に人口2億6千万人のインドネシア,1億人のフィリピン,9千万人のベトナム,7千万人のタイを抱えており,ASEAN主導でインド洋から太平洋へ繋がる地域協力体制が構築されて行くのだろうか。今後とも政治だけでなく,経済,文化,軍事,環境に至るまで目が離せない地域であることは間違いない。

ちなみに,私が予備校時代に習ったASEANの覚え方は,「胸むなに汗あん,死因はフィリピンの大麻(67アセアン,ンガポール,インドネシア,フィリピンタイレーシア)」である。25年以上も前の内容なのに,なぜか忘れないんだよね。

 

「激戦インパール 物語る」

本日の東京新聞朝刊に,インド北東部マニプール州に戦時中の「無謀の代名詞」ともなっているインパール作戦(1944)の平和資料館が開館したとの記事が載っていた。

インパール作戦とは,日中戦争で重慶の蒋介石を後方から支援する「援蒋ルート」を遮断するため,ビルマの山岳地帯からインドのインパールを攻略するも日本兵3万人以上が犠牲になり,ビルマ防衛の全面的崩壊もたらした愚策として知られる。ちなみに,その後のビルマからの全面撤退は,小説や映画にもなった『ビルマの竪琴』で描かれている。

記事によると,「悲しい戦争の記憶を心にとどめ,平和な世の中を次世代につなげる架け橋」として,資料館が建設されたとのこと。しかし,この資料館の建設に際しては,A級戦犯容疑で巣鴨プリズンに入獄した笹川良一氏(1899−1995)が設立した日本財団が資金を出している。財団側のあいさつにある美辞麗句を鵜呑みにすることなく,どういう文脈で資料が展示されているのかを精査する必要がある。日本兵の慰霊を狙った,日本財団の考え方に近い展示方法では,日本の東南アジア政策の是非を見誤ってしまう。

カッコいい言い方をするならば,歴史学は歴史の「事実」から時代の「真実」をしかと見定める学問である。「平和や和解のシンボル」といった口当たりの良い言葉にだまされない歴史の見方を大事にしていきたい。

「ナスカ地上絵 3点の鳥特定」

本日の東京新聞夕刊にナスカの地上絵に関する記事が掲載されていた。
南米ペルーの地上絵は紀元前2世紀から8世紀にかけて栄えたナスカ文明の時代に描かれたものと推測されている。
歴史ロマンはさておき,地理選択者は,なぜ2000年近くも地上絵が残されていたのかという疑問を大切にしてほしい。少し見にくいが以下がナスカ周辺の雨温図である。ナスカは砂漠気候(BW)に属し,寒流のペルー(フンボルト)海流の影響を受けて,ほとんど雨が降らない。年平均降水量はたったの4mmであり,降雨によって土が流されたり,植物や動物によって荒らされることがない。そうした好条件(?)が重なって,ナスカの地上絵が残されたのである。記事にあるように雨乞いを目的にペリカンを描いたというのも納得である。

なお,地理的に補足すると,寒流が沿岸を流れる地域では,海上近くの空気が冷やされ,上昇気流が起こらないために、雨が降りにくくなる。特に地球上で最も強い寒流であるペルー海流が流れる地域は乾燥度が強くなる。ペルーの南にあるチリのアタカマ砂漠や,アフリカ南西部のナミブ砂漠も合わせて覚えておきたい。また,エクアドル沖合のガラパゴス諸島も赤道直下に位置するが,やはり寒流の影響で降雨は少なく,イグアナやゾウガメなどの乾燥に強い生き物が誕生している。世界の海流の地図もすぐにイメージできるようにしておきたい。