本日の東京新聞朝刊に,1945年の敗戦当時,旧満州に暮らしていた200万人超にのぼった朝鮮人の方への丁寧な聞き取り調査をまとめた李光平氏へのインタビュー記事が掲載されていた。
満州というと,石原莞爾や板垣征四郎(A級戦犯で絞首刑)らが主導した満洲事変以後,日本人の農民の集団入植が続いた土地である。「耕作できる良い土地という触れ込みで来たら,何もない荒れ地だった」という記事中の言葉にある通り,日本人も陸軍の「満蒙開拓団」の宣伝文句に騙され,160万人近くが満州に渡っている。
敗戦時,満州に取り残された日本人の悲惨な逃亡劇やシベリア抑留などはよく知られたところであるが,日本人以上に苦しい生活を送った朝鮮人の家族や,満州で慰安婦を強いられた女性のことは,歴史の教科書にもほとんど書かれていない。日本人の被害者としての側面は小説や映画,資料館などで注目が集まるが,加害者としての側面は意識して学ぼうとしないと気付かないままになってしまう。歴史評価に伴う両面性について注意を払っていきたい。