本日の東京新聞朝刊に,インド北東部マニプール州に戦時中の「無謀の代名詞」ともなっているインパール作戦(1944)の平和資料館が開館したとの記事が載っていた。
インパール作戦とは,日中戦争で重慶の蒋介石を後方から支援する「援蒋ルート」を遮断するため,ビルマの山岳地帯からインドのインパールを攻略するも日本兵3万人以上が犠牲になり,ビルマ防衛の全面的崩壊もたらした愚策として知られる。ちなみに,その後のビルマからの全面撤退は,小説や映画にもなった『ビルマの竪琴』で描かれている。
記事によると,「悲しい戦争の記憶を心にとどめ,平和な世の中を次世代につなげる架け橋」として,資料館が建設されたとのこと。しかし,この資料館の建設に際しては,A級戦犯容疑で巣鴨プリズンに入獄した笹川良一氏(1899−1995)が設立した日本財団が資金を出している。財団側のあいさつにある美辞麗句を鵜呑みにすることなく,どういう文脈で資料が展示されているのかを精査する必要がある。日本兵の慰霊を狙った,日本財団の考え方に近い展示方法では,日本の東南アジア政策の是非を見誤ってしまう。
カッコいい言い方をするならば,歴史学は歴史の「事実」から時代の「真実」をしかと見定める学問である。「平和や和解のシンボル」といった口当たりの良い言葉にだまされない歴史の見方を大事にしていきたい。