内田康夫『「首の女」殺人事件』(徳間文庫 1989)を大体読む。
1986年に刊行された本の文庫化である。高村光太郎・智恵子夫妻の芸術作品を巡る殺人事件が、島根県江津市や福島県二本松市を舞台に展開していく。地図を横目に、少々の旅情気分を味わった。しかし、大変入り組んだ人間関係をモチーフにしており、ページの都合であろうか、最後は辻褄合わせの説明が延々と続く。
登場人物に一人である大学助教授の「智恵子はほとんど宗教的にといってもいいほど崇拝する高村光太郎に迎合するために、自分を矯めようと努力し、あげくの果て、挫折し絶望し狂ってしまった。(中略)もし智恵子が光太郎でない男と結婚したとしたら、どれほど幸福だったろうし、もしかすると、芸術家としても大成していたかもしれない」と感想を漏らすシーンがあるのだが、光太郎のやや独善的な結婚観が伺えて興味深かった。
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『東大生が選んだ勉強法』
東大家庭教師友の会『東大生が選んだ勉強法:「私だけのやり方」教えます』(PHP研究所 2008)を読み流す。
現役東大生が実践してきた勉強のコツを「記憶術」「ノート術」「本の読み方」「時間の使い方」「続ける技術」の5つの章に分けて紹介されている。
しかし、一貫した編集方針がなく、「Aという方法があります、またそれとは反するBという方法もあります、Cという別の方法もあります」といったように、ただ集められたアンケートを元にしたコツが羅列されているだけである。「覚えた本は捨てる」とか、「教科書を何度も読む」「略文字と記号を駆使する」など、一つひとつは「なるほど」と思うのだが、それらとは全く相反するする内容も多数紹介されている。結局は、勉強法も人それぞれという結論しか得られないものであった。
『戦争を知らない人のための靖国問題』
上坂冬子『戦争を知らない人のための靖国問題』(文春文庫 2006)を読む。
先ほど読み終えた『棄霊島』の中で、「靖国の参拝は素朴な信仰や慣習の問題であって、政治とは切り離すべきだ」うんぬんという話があった。特に何かを主張するような話ではなかったので読み過ごしたが、戦時中の歴史の一環として興味が沸いたので手に取ってみた。
新書なので1時間ちょっとで読み終わった。上坂さんは数年前に亡くなっているが、存命中は福田官房長官(当時)の私的懇談会としての「追悼・平和祈念のための祈念碑等施設の在り方を考える懇談会」の委員を務めるなど、靖国神社問題についての著書も多い。
上坂さんの考えは、戦犯処刑者といえど、日本国家にとっては立派な貢献者であり、政府としてきちんと追悼すべきだという点にある。かといって、いたずらに別の国立追悼施設を建設するというのでは、これまで参拝を続けてきた老遺族を冷酷にも切り捨ててしまうことになり兼ねない。政教分離の原則があるので、靖国神社の祭神の資格や合祀の基準を明快にし、国家護持という形に整えるべきであると述べる。また、どうしても国立追悼施設を作るのであれば硫黄島が良いと付け加えている。
東条英機個人の政治判断や東京裁判を巡る事実認定など、一方的な史料や聞き取りのみで主張を展開しているので、歴史認識や議論の中身以前の問題にぶつかってしまうのだが、主張は一貫としていて分かりやすかった。一般的な神社でも国立機関でもない靖国の微妙な立ち位置は理解することができた。
ジュウオウジャー ショー
子どもたちを連れて、午前中春日部駅西口にあるララガーデンで催された「動物戦隊ジュウオウジャー」のショーを見に行った。開演20分前に着いたら観客で溢れかえっており、甲高いボイスのお姉さんが舞台に上がって場を盛り上げていた。ショッピングモールのショーなので、戦隊の動きは傍目にも鈍かったが、憧れのジュウオウイーグルやジュウオウエレファントと握手できて子どもは十分に満足したようだ。
それにしても、最近は子ども1人に両親・祖父母など付き添いの大人が3人4人と付いてくるので、ブルーシートが敷き詰められた会場も、子どもの数よりも大人の数の方が明らかに多かった。子どもだけの席を設ければ、もっと近くで見ることができたのにと思った。
『棄霊島』
内田康夫『棄霊島』(文藝春秋 2006)を読む。
単行本上下巻で700ページほどの長編である。数日にわたって、ちょこちょこと読んでいった。
長崎の軍艦島を舞台に戦時中に強制連行の歴史や戦後の帰国に伴う混乱、北朝鮮の拉致活動、靖国神社と信仰など、大きな歴史や社会問題に触れながら事件は展開していく。昨年か一昨年あたりに読んだ『贄門島』と同じく、戦時中の強制連行に正面から向き合っており、大変好感の持てる作品であった。