本日の東京新聞夕刊コラム「大波小波」より引用
いとうせいこうの自作の教科書掲載拒否問題が先日来本欄で取り上げられているが、もちろん作者に自作の表現に関する全権があるにせよ、教科書と文学の問題にはもう少し配慮が払われてよい。
「保守派」氏は教科書は「評価の定まらぬ当世風の文学よりも、日本語の規範とすべき文学を優先して掲載すべき」だと言うが、文豪の文章は生前から教科書に採られていた。それによって教科書が「評価」や「日本語の規範」を定めてきた。生きている間に載らなかった作家が、死後突然評価され、教科書に掲載されることの方が珍し。だからこそ、教科書によい作品を載せたいと編集者は苦心する。現在進行中の教育改革によって高校国語教科書は大きく変わろうとしているのをご存知だろうか。高校二・三年の「現代文」を「実用国語」と「文学国語」に分け、選択制にするというのだ。そしてセンター試験の後継テストから小説は姿を消す。
これによって入試から解放される文学が、教室で「正解」に囚われず、より自由に羽ばたく可能性が出てきたとは言えるが、入試から外された選択科目として「文学国語」は生き残れるだろうか。やがて教科書での出会いのなくなった文学そのものは…。(懐疑派)