「経産省前テントひろば」のメーリングリストより
本日の配信されたメーリングリストに興味深い記事が載っていたので引用してみたい。
以下は、元共産主義者同盟(ブント)叛旗派のリーダーである三上治(ペンネーム)氏の文章である。反原発運動に党派性を持ち込もうとする一部の勢力を批判し、「全共闘」的なノンセクト運動を模索している。過去の反原発運動における、「原水禁」と「原水協」の不毛な対立に振り回されてきた歴史を考えると、三上氏の指摘する「オール脱原発—反原発」運動を積極的に支持したいと思う。
テント日誌(4/19)より
過日(4月15日)の朝日新聞は細川・小泉の二人の元総理が再度タッグを組んで脱原発に動きだすと報じていた。一般社団法人「一般エネルギー推進会議」を設立して政府のエネルギー政策や原発再稼動の動きに対抗して行くと報じていた。これは川内原発を突破口にした再稼動の動きに対するものでもあり。大飯原発再稼動時にはなかったことであり、おおきな力として期待されるものといって過言ではない。民主党の腰が定まらないだけでなく、前回の大飯原発再稼動時に彼らが推進側だったことを想起すればなおさらのことと思える。実際のところは彼らが動きやその力は未知数ではあるが、僕は積極的に彼らの行動を支援したいと思う。そして提携もして行きたいと思っている。彼らの力が大きな役割を果たすのなら、僕らが支援に回り、彼らの運動を支える側に立ってもいいと思っているのである。
ここで想起されることがある。都知事選のことである。散発的にではあるが、その総括をめぐる議論も散見するが。やはり、いい機会だから彼らとの関係(提携)も含めた彼らの動きに対する議論をしておくべきだろうと思う。再稼動に反対運動が盛り上がり出した段階でまたつまらない批判を持ちだして運動を分裂させ、混乱させることなどを生まないためである。都知事選の総括と思われるものを見る時に、気になるのは宇都宮氏を支持した面々と見られる人の、細川氏を支持した側に対する批判である。一例をあげれば細川氏を支持し、候補の一本化を呼びかけた鎌田さん等への批判である。彼には根強い反共思想があるとか、彼の統一の呼び掛けがピントはずれのものであるとかなどがある、こうして批判を見ていて思うのは批判する側は一番重要なことが分かっていないか故意に無視しているように思えてならない。
脱原発の運動と党派性(政治性)の問題である。僕は再三にわたって述べてきたが、脱原発―反原発運動における政治性(敵と味方の線引き)は従来の階級的―体制論的なものではだめで、そこから脱して左右の枠組みから出てなされなければならないと主張してきた。現今の脱原発—反原発運動には従来の政治的枠組みが残っていてそれが運動の広がりや発展を阻害している、と語ってきた。これは脱原発―反原発の運動には旧来の政治的立場を持ち込んではならないということの自覚だが、そこのところの重要性を隠蔽しているのだ。既得権利害(独占支配も含めた)に立つ推進派に対して、脱原発―反原発派はオールという立場に立たなければならないし、その可能性があるのにそれを妨害してはならない。オール沖縄という言葉がるが、オール脱原発―反原発という事を目指さなければならないし、そこでは細川—小泉の脱原発は信用できないとか、著名人を集めても仕方がないなんて言ってはならないのだ。運動の足を引っ張るしかない批判なんて一利もないのである。細川や小泉たちの動きについてはいろいろの評価があるのだと思う。それなら、今の段階でその議論を重ねておくべきだろうと思う。都知事選に関連させてもいいし、そうでなくてもいいが、再稼動時の運動に混乱をもたらさないために議論をしておくことは大切ではないか。僕もこの機会あればこの議論に付き合いたい。
現在の脱原発―反原発の運動はこうした政治性(党派性)を克服して、オール脱原発—反原発ということに運動を広げて行く問題と、原発問題を僕らの原存在に関わるものとして思想的に深めていくべきことがある、この二つは僕らの現在的課題である。この一つは関門として細川や小泉の評価があるように思う。この点での議論を深めよう。(三上治)