月別アーカイブ: 2012年3月

『武蔵野夫人』

大岡昇平『武蔵野夫人』(新潮文庫 1950)を読む。
彼の代表作である『俘虜記』のすぐ後に書かれた作品である。『俘虜記』同様に、野球の実況中継のように、場面や状況によって刻々と変化する心境が丹念に描かれる。
当時としてはセンセーショナルであった不倫や離婚、自殺といったテーマをうまく組み合わせて物語が作られている。最初は読み進めるのに苦労したが、後半に入って人物関係が頭の中で固まってからはすいすいとページを繰る事ができた。

Wikipediaによると、この『武蔵野夫人』の最後の方に主人公の道子が自殺するシーンがあるが、その場面における「事故によらなければ悲劇が起らない。それが二十世紀である。」という一節が、福島第一原子力発電所の事故との関連で注目されているらしい。一婦人の自殺と原子力発電所の人災を一括りにするのはかなり牽強付会であるが、キャッチフレーズとして読む分には時節に合っているのではないか。

「鈍・鈍・楽」

本日の東京新聞朝刊1面のコラム「筆洗」に、作家の城山三郎さんが人間関係に悩み学校に行けなくなった孫娘に送った「鈍・鈍・楽」という言葉が紹介されていた。
「鈍・鈍・楽」なる不思議な言葉は、次のような意味らしい。

鈍=人間関係に気を使わない。
鈍=まわりが何を言っても気にしない。
楽=そうすれば、どんどん気が楽になり楽しくなる。

次女の井上紀子さんは自著の中で、「父は自分にも言い聞かせるように、周囲の目、声は必要なものだけキャッチして、あとはケ・セラ・セラ(なるようになる)でいけばよいと、優しく諭してくれた」と書いている。

「人間関係に気遣い、周囲への配慮を忘れない」という付き合い方が日本の道徳であるが、そうした滅私的な立ち振る舞いは多大なストレスを抱え、いつか字のごとくに身を滅ぼしてしまう。

まずは、自分の幸せ、自分の生き甲斐、仕事と自分の時間、家族、趣味とのバランスを大切にしながら、そこから生まれた余裕を周囲への気配りとできるような生活をめざしたいと思う。「鈍・鈍・楽」な生き方、まずは参考にしたい。

『SRサイタマノラッパー』

入江悠監督『SRサイタマノラッパー』(2009 ノライヌフィルム)をDVDで鑑賞した。
埼玉の外れという中途半端な田舎で、高校卒業して職にも就かずヒップホップで世界に出ようという夢を追いかける若者の姿を描く。
東京都心まで電車で一本、2時間弱の距離なのだが、その分だけ若者の将来に対するやるせなさが浮かび上がってくる。
田山花袋の『田舎教師』も同じく、羽生でグダグダと現実に埋没していく文学青年を描いたが、その意味で、この『SR〜』も現代版『田舎教師』と評してもよいのではないだろうか。

[youtube]https://www.youtube.com/watch?v=UEo-FyUnzE0[/youtube]

『日本の珍地名』

竹内正浩『日本の珍地名』(文春文庫 2009)を読む。
1999年から始まり2010年3月までを一区切りとした「平成の大合併」によって生まれた、首をひねりたくなるような地名が番付形式で紹介される。
「平成の大合併」とは、合併特例債と地方交付税の削減の二本柱による「アメとムチ」の政府の施策によって、1999年時点で3232あった市町村が、2010年3月の時点で1728まで削減された合併を指す。
そのため、地域事情を措いてまず合併ありきで進んでいったので、争いの元となる旧自治体名は使わないという原則が徹底され、「みどり」や「さくら」「大空」といった所在地不明のひらがな市名や、「○○中央」「北△△市」「南××市」といった安易な市名、さらには「小美玉市」「紀美野市」「いちき串木野市」といった「リミックス地名」が全国各地で出現している。
また、近隣市町村との合併がうまく行かず、埼玉県では「富士見市」と「ふじみ野市」が並んだり、山梨県では「甲府市」「甲州市」「甲斐市」の似た名前の市が3つも生まれたりしている。

全体的には珍奇な地名の紹介といった軽い内容ですいすい読むことができた。しかし、あとがきの中で著者は、住民への目配りやサービスが行き届かなくなる百パーセントの合併よりも、広域行政サービスを充実させた住民の生活圏とほぼ同じ領域をカバーする市町村同士自治体連合の方が望まれていたはずだと述べる。そして、合併しなかった市町村の方が、住民自治を守るためのさまざまな工夫をしながら危機感を持って立ち向かっているように思えるといった感想を漏らしている。
著者はこうした事態に対して、「合併した市町村で、合併の失敗が明白となった場合、再分離が可能となる制度の設計・構築は、最低限なされるべきである」と主張している。

私も著者の意見に賛成である。二重行政となるような無駄は徹底して省きつつ、観光や福祉サービスなどの住民本位の部分については住民の生活圏に則した自治体が担うべきだと思う。先日も東京都小金井市でゴミの問題が報じられた。周囲の自治体との「横の連携」ができない行政全体の弱点が浮き彫りになった。国や県との「縦のパイプ」の構築には熱心だが、周辺自治体との「横のパイプ」作りは二の次とされてきたのが、これまでの地方行政である。今回の「平成の大合併」も、そうした広域行政サービスの土台が築いてこなかったツケが回ってきたのであろう。

そう考えていくと、全国各地で産声を上げた「珍地名」も一笑に付すことはできない。私たちも日々「珍地名」なるものを作っているかもしれない。
どんな分野においても、客観的な分析と広い視野をもっていきたい。

『エコカー戦争』

 畑野旬『エコカー戦争:次世代クルマ競争に勝ち残るのはどこか』(洋泉社 2009)を読む。
 表紙にトヨタプリウスや三菱i-MiEVなどの写真があったので、カタログのような気楽な内容であろうと思い読み始めたのだが、リチウムイオン電池やスマートグリッド構想に伴うメーカーの動きや、自治体のインフラ整備といった堅めの内容の本であった。
 各メーカーの環境に向けた取り組みの方向性の違いや、電池開発の企業との連携など分かりやすかった。また、ハイブリッドの形式の種類や、燃料電池車と水素自動車の違い、クリーンディーゼル車の中身など、知っているようでよく知らないことも詳しく説明されていた。2時間強で読むことができる「ちょうどいい」内容の本であった。