子どもお風呂に入れて、久しぶりにララガーデンへ映画を観に行った。
中村義洋監督、錦戸亮・ともさかりえ主演『ちょんまげぷりん』(2010 ジェイストーム)である。ふざけたタイトルなので、アニメかと思ったが、ヤフー映画の評価が高かったので、少し期待して観た。
何気ない夫婦のすれ違いがテーマなのだが、主演の二人の演技に引き込まれ、ついうるっときてしまった。
月別アーカイブ: 2010年11月
『人はなぜ結婚をするのか』
小浜逸郎『人はなぜ結婚をするのか』(草思社 1992)を読む。
随分長く、自宅の本棚に眠っていた本である。教材研究の一助として手に取ってみた。
筆者は、自身の20年に及ぶ結婚生活で感じたことを深く社会学的・哲学的に掘り起こす作業を試みる。結婚の定義に始まり、結婚生活の段階、そして、家事や生活費、子育て、夫婦げんか、不倫などの結婚生活の諸相を丁寧に論じている。結婚生活とは極めて社会的な営みでありながら、極めて個人的な閉じられた関係性でもある。誰しもが経験する、もしくは考えることでありながら、全くの個別的かつ流動的な事柄でもある。章中で何度か、下記のような結婚の定義を試みるが、結婚は自身の生のありようと関わってくるので、決定的な定義はできないと筆者自身も最後は白旗を揚げる。
- 結婚とは、一人の相手と永続的な結びつきを宣言・公表することから出発するエロス的活動である。
- 「結婚する」とは、一人の相手との永続的な結びつきとその社会的承認を通して、自分を生の有限性のほうに引き寄せることを決意することである。
- 周囲に公表し承認してもらうという外なる儀式性と、自分たちが自分たちの決意の意味を確認するという内なる儀式性-結婚に踏み切るということには、もともとこのような二重の意味が含まれていたのかもしれません。
- 結婚は、まだ見ぬ日常性への飛躍であり、実存的な変容をわが身に引き受ける決意なのです。迷いはあって当然、迷わぬ結婚などありえない。しかし、最終的には、迷ったってしょうがないのです。
- 結婚生活とは、まさに常識と凡庸さとが支配している世界です。
『チョコレート革命』
俵万智『チョコレート革命』(河出書房新社 1997)を読む。
デビュー作である『サラダ記念日』から3冊目の歌集である。恋愛、とくに不倫の歌が多いが、ほか海外の貧困や自然環境をテーマにした歌も数多く収められている。
その中で、特に印象に残った歌を拾ってみたい。
(フィリピンのマニラのスラム街にて)
バービー人形を拾える少女はアメリカの離婚家庭の話を紡ぐ
「学校」という語をキャンディーのように発音する子どもたち(インドのカルかったにて)
流暢に英語を話す少女いて年齢知らぬ少年がいて
これらの社会問題について作者はあとがきで次のように語る。
フィリピンのマニラ、そしてインドのカルカッタへの旅では、貧富の差というものをまざまざと見、そして人間の生きる力に圧倒され た。けれど、スローガンは書くまい、と思う。現実的な運動や、直接的な言葉に比べたら、歌を紡ぐことは、遠回りのように見えるかもしれない。が、これらの 体験から得た地球規模の視野を、私は短歌の畑として、耕してゆきたいと思っている。
また、不倫についての歌は数多い。
やさしすぎるキスなんかしてくれるからあなたの嘘に気づいてしまう
会えぬことをむしろ楽しむ心あり結婚願望また遠ざかる
泥棒猫! 古典的なる比喩浴びてよくある話になってゆくのか
今日あったことを告げたき一日の終わりに通じぬ携帯電話
幾千の種子の眠りを覚まされて発芽してゆく我が肉体
子を抱く友と二時間向き合えば我が恋愛は比喩のごとしも
『鎌倉街道10日間歩き旅』
テレビ東京の土曜スペシャルの『鎌倉街道10日間歩き旅』を見た。芸能人5人リレー式に、ただ高崎から鎌倉街道を伝って鎌倉までを歩くという番組である。 途中ぶらり旅などの旅番組と違って、完全アポなしという条件なのでアドリブで番組が展開していく。そのハプニングが面白い。また、自分自身が浪人生時代に バイクに乗って地図片手に同じような旅をしていた頃に感じていた好奇心も蘇ってくる。
パンフレット研究:帝京平成大学
帝京平成大学のパンフレットを読む。
主なキャンパスは池袋であり、2013年に中野キャンパスの開設が予定されている。パンフレットでは「健康・医療・福祉・教育・情報の総合大学」であると謳われている。そのキャッチコピー通り、薬学部、看護、はり灸、柔道整復学科からなるヒューマンケア学部、栄養や理学療法などの健康メディカル学部、そして、教育や社会福祉、経営やレジャー、スポーツなどごっちゃまぜの現代ライフ学部からなる。さらに千葉にキャンパスを設け、柔道整復や理学療法、医療スポーツなどからなる地域医療学部が2008年に開設されている。同じ大学なのに、キャンパスの違いで似たような学科が重複しており、非常に分かりづらい。元々は1986年に設立された情報学部のみの帝京技術科学大学が母胎であり、1995年に帝京平成大学に名前を変えてから、資格や就職に比較的強い医療福祉系の学科を寄せ集めている。同じ学部なのにキャンパスが異なるなど、大学全体の一体感は皆無であろう。
また入試も青田買いでおかしなものになってしまっている。例えば平成22年度の健康メディカル学部健康栄養学科の入試では、AO入試で募集定員27名のところ、258名が受験し合格者は42名、推薦入試では定員8名のところ、58名が受験し合格者は35名と、定員を無視して合格を乱発している。一方で、一般入試は募集35名のところ、114名が受験して合格者は22名、センター利用入試では7名の定員に対して72名が受験したにも関わらず、7名しか合格者を出していない。他の学科も軒並みAO入試や推薦入試でかき集めている状況だ。これでは高校側も一般入試に生徒の目を向けさせられないだろう。
さらに学費の「月払い制度」があり、奨学金が振り込まれる口座から帝京平成大学の口座に定期的に自動送金されるという「親切丁寧」な制度が導入されている。
本体の帝京大学の補完的な大学なので、サークル活動やクラブ活動も低調で、「大学」という名のついた専門学校の域を出るものではない。