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パンフレット研究:京都女子大学

1899に京都に創立された仏教精神に基づく女子教育を実践するための「顕道女学院」を源流とする。どういった経緯なのか分からないが、1910年に、大谷籌子(西本願寺門主大谷光瑞師夫人)らの尽力によって京都高等女学校となり、1949年に文学部と家政学部からなる新制大学として出発している。龍谷大学と関係が深いのか、卒業生になかには龍谷大学付属平安中学校の教諭になっている者もいる。また佛教大学付属幼稚園の教諭もいる。仏教についての学科がないため、あまり仏教というイメージはなかったが、1年次と3年次の2年間、全学生に仏教学を必修として課しており、かなり宗教教育には力を入れているのが特徴だ。
近年は、改革をすすめ、2000年に現代社会学部を設置し、2004年には文学部教育学科、家政学部児童学科を改組し、発達教育学部を設置し、学園創立100周年を迎え、2011年に女子大学初となる法学部の設置を目指し、全学的なカリキュラム改革に取り組んでいる。しかし、法学部が設置されるとなると、女子大の社会科学系にありがちな幅広く教養を学ぶスタイルをとる現代社会学部の理念が薄まってしまうだろう。と思ったら、2011年度よりICT活用能力の育成により重点を置いたカリキュラムにシフトしていくようだ。

京都女子大は、京都駅からバスで10分という通いやすい場所にあるため、通学圏が大変広い。兵庫からも十分に通うことができる。
教職をとる学生が多く、2009年度は、1344人の卒業生のうち、半数近い524人が教員資格を取得している。
また、キャンパス内で700人近くの学生が寮生活をしており、キャンパスの盛り上げに一役買っている。
2009年度の就職実績は前年に比べ5ポイント近く大幅に下がったとはいえ、93.3%を誇っている。また就職決定者の22%が教員・保育士として採用されている。しかし、就職未決定者と家事手伝いアルバイト等を合計すると卒業生の15%にもなる。資格取得全面に打ち出す京都女子ですらこの数字なので、他の大学はいかほであろうか。
大変情報量の多いパンフレットである。東京家政大学も同じであったが、在学生のメッセージ集も同封されており、小さい文字でぎっしりと説明が羅列されており、一通り目を通すのにかなりの労力が必要であった。
全学部において、大学院が設置されているが、臨床心理学以外希望者が少なく、半数近くが志願者ゼロである。文系の女子大だと大学院の運営は難しいであろう。

今日の新聞記事

本日の東京新聞の朝刊の読書欄に、批評家平井玄氏への、著作『愛と憎しみの新宿』(ちくま新書)を巡るインタビュー記事が掲載されていた。
ふと読んでみると、昨日と同じ東京新聞大日方公男記者の文章であった。平井玄氏というと、15年ほど前、学生時代にどこかの飲み屋でとりとめもない話を聞かされたような記憶が無きにしもあらずである。あれは、ロフトプラスワンであったか、顔のよく見えない薄暗い空間であったことはかすかな記憶として残っている。

新宿に生まれ育ち、高校時代に全共闘運動に加わり、大学へ。だが、「引き際を逸して党派の内ゲバに追われ、エネルギーと屈託を抱え込んだまま新宿の街に流れ込んだ。そんな若い連中はたくさんいた。六〇年代がはらんでいた闘争や活動の可能性が舞台を大学から街に移して白熱した文化運動が展開されていたのですね」
(中略)
「家業の洗濯屋で働き、文壇バーやジャズクラブの裏口から出入りし、暗い緊迫感に満ちた様子を眺めたのは面白い経験だった。そんな中で、地方から出てきて学歴もなく仕事も続かず街をうろつく若者たちの姿や、元赤線地帯で育った自分の姿も次第に見えるようになった」
正義や理念を独占する前衛でもなく、利潤に邁進する産業の網の目からも逃れて、民衆の中に紛れこんで自らを媒介者とする〈自営労働者〉という自己規定は、そんな実感の後にたどり着いた。

本日の新聞から

本日の東京新聞夕刊の文化欄に京都精華大学教授の池田浩士氏のインタビュー記事が掲載されていた。懐かしい名前だと思いながら読んだ。
池田氏のコメントを引用してみたい。

ユダヤ人の虐殺など歴史を被害者の側からだけでなく、加害者の視点も含んで考える必要があると思います。ナチズムは自民族に伝統の力をもたらし、世界史の主流であった国際的な社会主義に異を唱え、それらを超モダンなラジオや映画というメディアを駆使して巧みに情宣した。そういう感性に変える創意の力に人々は抵抗できなかったのです。

ナチズムは失業を解消し、ボランティアや強制労働で国力を盛り返し、現実的な閉塞も取り除いてきました。就職氷河期や外国人労働者に3Kの仕事を任せている今の日本社会とどこか似ているんです。

人間は一所懸命に生きていると、かえって現実がみえなくなることがある。ナチズムの時代に生きて『希望の原理』を書いたブロッホは、不安や陶酔に足をすくわれがちな今という時間の闇ではなく、覚醒した未来を立脚点として歴史や社会を考えました。ホロコーストに行き着くのを避けるためです。

最後に、インタビュアーの大日方公男氏は、池田氏の長年にわたる全体主義批判の研究に触れながら次のように述べる。

国民のなかで文化や伝統の厚みを持ち、多数派の感情を占有し、暗黙の合意とされてきたものに向け、文学の想像力がどこまで拮抗できるか-。ナチズムの歴史や表現にも、死刑制度の問題にも、日本人の無意識までかたちづくる天皇制に関しても、文化の虚構性を解体するという批判が生きている。そうした作業が池田さんの評論活動の中心にある。天皇制については先ごろ、『子どもたちと話す 天皇ってなに?』(現代企画室)を出している。
「具体的な生活や日常とカイリした借りものの思想や、現実を隠蔽した歴史のなかで批判的想像力が掴まえられてしまうのでは意味がありません」